笑い声と共に、悲しみが入り混じるのが人生のバランスです。昔から「禍福は糾える縄の如し」などと、数々のことわざが示してきた通りです。
しかし、私たちは「幸せな人生」とは、ずっと笑顔でいることだという誤解を持ちがちです。誤解というよりも、薄々は知っているけれどそう思いたいという願望が入っているのでしょう。
これは、同じくことわざの「笑う門には福来る」にも表れている気がします。
ここで、この誤解を打ち消す新しいことわざを提案します。
「痛みを笑い飛ばせば、さらに福来る」。
アルフォンス・デーケン博士の「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」に比べて言葉のセンスで負けていますが、「福」に言及している分だけ、その意図をくみ取ってあげてください。
つまり、幸せの探求には、苦痛の感情をどう受け入れ、理解するかが大切な役割を果たします。
そして、幸せの追求には、よくご存じの「パラドックス」があります。
ある研究結果では、幸せを重視し追求する人は逆に幸せ度が低下していることがわかりました。
これを、直視すると目が痛む太陽と、間接的に見て楽しむ虹に例えた人がいました。
幸せを直接追求すると、太陽のように目を痛めるのです。しかし、その要素を分解してみれば、虹のように幸せを間接的に楽しむことができます。
ところで、人生とは幸せを求める旅のようです。
そしてその旅路の途中で、痛みや困難を笑い飛ばす能力を持つことが、幸せへと繋がるのではないかと思います。
ここで幸せについての最後の諺を提案します。
「幸せは、困難を乗り越えた先の虹である」。
