湯川秀樹博士は、1949年に日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞しました。当時、戦後の混乱と貧困の中にあった多くの日本人に誇りと感動を与えました。
博士の受賞理由は、1934年に27歳で発表した「中間子理論」の正しさが証明されたからです。この理論では、陽子と中性子を強い力で結びつけている「中間子」という新たな粒子が存在するはずだと予測しました。
湯川博士は物理学者というよりも、私にとっては中高校時代の国語の論説文の常連というイメージがあります。彼が文学少年であり、数学や哲学などの学問に触れながら、次第に物理学に興味を持つようになっていった様子が、この「旅人」という自伝に描かれています。
湯川博士は内向的で無口な文学少年でしたが、強い好奇心と幅広い教養から湧き出る発想を動力に物理学に全霊をかけました。彼は自らを「孤独な我執の強い人間」と語り、その心に去来する人生の空しさを淡々と説く文章は、深い瞑想的静謐を湛えています。
こんなエピソードがあります。
外国へ留学させてはどうかという話が持ち上がった時、彼は言下に断りました。自分の仕事を一つ仕上げたあとでなければ、外国へ出かけたくなかったというのがひとつの理由でした。そして、もう一つが、次の理由です。
「私が一番恐れたのは、日本であろうと外国であろうと、自分のやりたくない問題を押しつけられることであった。私は自分の研究に、知・情・意の三つをふくむ全知全霊を打ちこみたかった。中途半端な気持では、研究の全然やれない、厄介な人間であった。」
ほかにも、私が感銘を受けた文章を紹介します。
「未知の世界を探究する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探究の結果として、できるのである。目的地がどこにあるか、まだわからない。もちろん、目的地へ向っての真直な道など、できてはいない。」
これがこの本のタイトルが「旅人」である理由です。
「まわり道をしながら、そしてまた道を切り開きながら、とにかく目的地までたどりつくこと」
探究の精神というのは忘れないでいたいですね。