心が主(あるじ)

 

今回のお話もダンマパダ(法句経)から。(「真理のことば 中村元訳)

このブログで何回も取り上げているダンマパダですが、はじまりの偈の紹介を忘れていたことに気づきました。

もっとも、その時々に心に留まった偈をランダムに紹介しているからなのですが、最初から読み返してみたときに「一番大事なことを一番最初にすでに述べているのだ」と思いました。

よく「心を心でつかむ」と言いますが、その大切さを説いているのが、はじまりの偈です。

一と二が対になっていますので、続けます。

 

一 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行なったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。

二 ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行なったりするならば、福楽はその人につき従う。影がそのからだから離れないように。

 

私たちは心をもとに行動しています。また、心に青写真があって、ものごとは形づくられていきます。私たちの身の回りにある品物は、どこかで誰かがそれを作ろうと思って作り出されたものです。

心が現実を作っていると言っても過言ではないでしょう。

ですから、心が自分の主(あるじ)です。すべては心によってつくり出されます。

このように、ダンマパダのはじまりは「心をないがしろにしてはいけない」という説明から始まっています。