今朝、家族からのLINEで初めて首里城の火災を知りました。
私は首里高校出身で、高校時代は首里城構内にあった琉大キャンパスが西原へ移転が始まっていた時期でした。
首里城の復元は、もちろん私が卒業してからですが、首里城に一番近い高校の出として、やはり誇らしく思ったものです。
首里城は、沖縄の先人たちの誇りを実際に肌で感じることができる、シンボル的な存在でした。
ニュースを知り、映像を確認した後は、気分が落ち込み、今日は何もする気になれませんでした。
外来でも「先生、首里城が…」と言葉をつまらせてしまう患者さんもいたりして、みんな同じ気持ちなのだなと思いました。
「ホントに何も考えられないですね。」
自分で思っていたよりも、はるかに大きな存在であったことを思い知りました。
失った悲しみは大きいものです。気持ちを立て直すには、それなりの時間が必要です。
沖縄の人たちがみんなで手を取り合って、また一歩を踏み出すことを信じます。
(首里城火災の写真は掲載するにしのびなかったので、Wikipediaから転載しました)