発想が柔軟な言葉に出会うとき、自由な気分になります。
それが、例えダジャレでも、私は嬉しくなります。
例えば、バカボンのパパのセリフ
「ママに長生きしてほしいから、長い木プレゼントするのだ!」
発信者がバカボンのパパだけに、裏表のない素の心でこの言葉を発しています。
それが、嬉しい。
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ラジオで、こんなダジャレに出くわしました。
(「出くわした」という表現がぴったりな感じで、ふいにラジオから流れてきました。)
「『二刀流』じゃなくて、『ニチョールー』」
最初は「へ?」と思いました。
それから、びっくりするやら、感心するやら。しまいには感動しました。
「ニチョールー」というのは沖縄の言葉で「似ている」という意味。
大谷翔平選手の「二刀流」にかけて、まさか沖縄の言葉で見事に韻を踏むとは!
こんな発想がなかっただけに、嬉しくなりました。
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大学時代にダジャレを連発する友人(先輩?)がいました。
あまりにダジャレを連発するために、話が前に進まなくて困ることも多く、皆からはヒンシュクを買っていましたが、私は尊敬していました。
そういう人は頭が柔らかく、発想が豊かなのだろうと思います。