ダジャレ好き

 

発想が柔軟な言葉に出会うとき、自由な気分になります。

それが、例えダジャレでも、私は嬉しくなります。

例えば、バカボンのパパのセリフ

「ママに長生きしてほしいから、長い木プレゼントするのだ!」

発信者がバカボンのパパだけに、裏表のない素の心でこの言葉を発しています。

それが、嬉しい。

*

ラジオで、こんなダジャレに出くわしました。

(「出くわした」という表現がぴったりな感じで、ふいにラジオから流れてきました。)

「『二刀流』じゃなくて、『ニチョールー』」

最初は「へ?」と思いました。

それから、びっくりするやら、感心するやら。しまいには感動しました。

「ニチョールー」というのは沖縄の言葉で「似ている」という意味。

大谷翔平選手の「二刀流」にかけて、まさか沖縄の言葉で見事に韻を踏むとは!

こんな発想がなかっただけに、嬉しくなりました。

*

大学時代にダジャレを連発する友人(先輩?)がいました。

あまりにダジャレを連発するために、話が前に進まなくて困ることも多く、皆からはヒンシュクを買っていましたが、私は尊敬していました。

そういう人は頭が柔らかく、発想が豊かなのだろうと思います。

 

 

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