敬老の日が過ぎた、昨日の外来で。
大正生まれのKさん(男性)が、嬉しそうにお話ししてくれました。
「おとといは敬老会があってね。10人ぐらいが前に出てね。私も踊ったよ。」
両手はカチャーシーのフリです。
私が「敬老会は楽しかった?疲れなかった?」と問うと
「いやあ。ありがたかったね。楽しかった。嬉しかったね。」と満面の笑みです。
このKさん。待合室では、4歳下の奥さんと車いすで向かい合いながら、世間話をしていました。
耳を傾けると、奥さんが後で食べようと思って置いていた食べもの(お菓子?)が行方不明になったことを話題にしているようでした。
「なくなったと言ってもな。あれは、私が食べたのではないと思うよ。」
「おじいさんが食べたのでしょ。孫が見ていたらしいよ。」
「え?そうだったか。ははは。すまんすまん。私は忘れるからなあ。」
その無邪気さに、Kさんの人柄がにじみ出ているようで、微笑ましい気持ちになりました。
ちょうど今読んでいる、「ゲーテの言葉」にこんな文章があります。
世間は、幼い子供には寛大であり、老人に対してもまた、同じように寛大だ。老人は「周囲に守ってもらう存在」という意味では、幼い子供と同じだからだ。
だから老人は、守ってもらうときには素直に守ってもらえば、それでいい。「子供扱いするな!」と腹を立てることはない。
腹など立てなくとも、老人へのいたわりは、両立するはずである。
周囲の人間に素直に感謝して、毎日の生活を楽しむKさん。
Kさんのように自然体で気持ちを表現することは、私の憧れでもあります。