「一水四見」という言葉があります。
同じ「水」をどのように見ているか? 「水」がどのように見えているかは、その人(主体)によって違ってくるというお話です。
例えば、一つの水でも四つの見方があると示しています。
私達人間にとっては飲み水に見えます。
魚には大切な生存スペースです。
天人は水を水晶としてとらえるらしい。
一方で地獄に住む餓鬼には「炎の燃え上がる膿の流れ、苦しみの象徴」に見えます。
主体が変われば対象の認識も変わる。
今の世の中ほど「みんなが言っている」という言葉に要注意のシグナルが点く時代はないのではないかと思っています。
「みんな」は誰なのか。「みんな」の中に「私」はどれだけいるのか。
どんな事柄も「一水四見」です。「みんな同じ」と言われるよりも、その方が私は腑に落ちます。
そのうえで、「水」をどう見るのかを自分で決めることが大切だと思っています。