「 死を受け入れる: より充実した人生への旅」TEDから

 

「Doula(ドゥーラ)」という言葉の語源はギリシャ語で、「他の女性を支援する経験豊かな女性」を意味するのだそうです。 出産前後の母親に寄り添い、優しさと愛情を持って家事や育児のサポートを行う存在のことを「Doula(ドゥーラ)」と呼ぶそうです。(一般社団法人ドゥーラ協会のサイトより)

今回、TEDから紹介する「Death Doula(デス・ドゥーラ)」というのは、助産師やドゥーラが出産の過程で行うのと同じ方法で、死の過程を支援する人のことを言っています。

終末期の人に寄り添う人ですが、その意義はより深いものがあります。

デス・ドゥーラとして活動するアルア・アーサーは、彼女のTEDトーク「死について考えることがより良い人生を生きる助けになる理由」で、人生と死について独特な視点を提示しています。

彼女は私たちに、死を恐ろしい終わりとしてではなく、人生に意味と豊かさを与える文脈として見ることを提案しているのです。

アーサーは、講演の導入に、彼女が考える理想的な死を生き生きと描写してみせました。それは夕日に囲まれ、愛する人々に囲まれ静かに移ろい行くものでした。このビジョンは、恐怖や後悔ではなく、満足感と静けさで終わる、よく生きた人生を象徴するものです。

しかし、彼女は死がしばしば予測不可能であり、思惑通りにいかないことが多いことを認めています。

それでも、この不確実性こそが私たちの人生に物語性を導き出すものです。

デス・ドゥーラとしての彼女の役割は、人々が自分の死を準備する手助けをするものです。

彼女は、現在を全うに生き、優雅に死ぬためには「自分自身と和解すること」が大切なのだと強調しています。

そのために、死を受容し、自分自身の人間性を受け入れ、日常の中に意味を見つけることが必要なのだとも言っています。

アーサーは、彼女と関わったあるクライアントの話を紹介しています。

このクライアントは、仕事も成功し、誰から見ても完璧な人生のようだったにも関わらず、終末期のがんと診断された時には、それまで歩んできた人生に全く意味を見出せなくなっていました。

しかし、彼女が自分の死にまっすぐに向き合ってから、ガーデニングや読書、おいしい食事を摂ることなど、人生のシンプルな喜びを見つけたのでした。

彼女は、人生の最後の8ヶ月間で、以前よりも全うに生き、生活の感覚体験を楽しんでいたのだそうです。

アーサーはまた、「遺産」の概念についても触れています。

私たちは毎日、行動と言葉を通じて「遺産」を作っているのです。

人生の終わりには、達成したことではなく、私たちが個人として誰であったかを、人々が覚えているでしょう。

この視点は、私たちが行動することよりも存在することに焦点を当て、生産性ではなく人間としての固有の価値を評価するように促すものです。

最後に、アーサーは、死を宇宙の輝きの爆発、よく生きた人生のお祝いとして描く空想的なビジョンを提示します。

死を喜びと平和をもたらすものとして想像することで、私たちは死との関係を変えることができます。

死を認識し、受け入れることで、私たちはより全うに生き、より深く愛し、真に私たちが誰であるかを反映した遺産を残すことができます。

死の前に、私たちは人生の真の価値を見つけます。

アーサーが美しく言い表したように、「私たちの死と向き合う真の贈り物は、私たちが全く生きているという驚きそのものです。」