数学が描く哲学の風景

 

「数学が好き」と言うと変に聞こえるかも知れませんが、時々マーチン・ガードナーの数学パズルの本などを引っ張り出してきては読み耽ったりしています。

数学に触れていると、なんだか真理の縁を触れた気になって、気持ち良いのです。

歴史を遡ると、偉大な数学者たちは哲学者でした。そして、偉大な哲学者たちは数学者でもありました。

ざっと思いつくだけでも、プラトン、アリストテレス、ピタゴラス、ユークリッドなどがいます。

彼らは数学と哲学の境界を越えて、人間の理解を深めるための新たな道を切り開いた偉人たちでした。

数学と哲学の交わるところには、「EQ」について思考を巡らせることになります。

EQとは「Emotional Intelligence Quotient」の略で、自分自身の感情と他人の感情を理解し、それらを適切に管理する能力のことです。「心の知能指数」と意訳されたりもしていますね。

EQの5つの要素とは、自己認識、自己制御、動機付け、共感、社会的技巧があります。

では、数学がEQの向上にどのように関連するのでしょう。

「数学こそが、神が宇宙を描くための言葉である」と述べたのは、ガリレオでした。

自然の中に存在する数学的な秩序を理解することで、自分たちの感情を理解する手がかりを得ることができるのかも知れません。

自然は、一見すると複雑で予測不可能なカオスのように見えます。

しかし、その中にはフラクタルと呼ばれる秩序が存在します。

フラクタルは、植物、花、雪の結晶、木、川の流れ、雷、雲、山など、私たちの周りのあらゆるものに存在します。

フラクタルは、単純な形状を繰り返し分割することで複雑な形状を生み出します。

つまり、複雑なものは、単純なものから生まれるのです。

このフラクタルの原理は、私たちの生活にも当てはまります。

私たちの生活は、一見するとカオスのように見えるかも知れませんが、その中にもフラクタルのような秩序が存在します。

私たちの何気ないシンプルな選択は、時間を経ることで大きな影響を生んでいくわけです。

また、数学は普遍的な言語ですし、数学の原理は、国や文化、宗教、性別を超えて共通です。

数学は、私たちが互いの違いを超えて共通の理解を築くための道具と言えます。

数学のパターンを異なる視点から見ることで、私たちは他人の視点を理解し、共感する力を身につけるのです。

それから、これは、おそらく最も大事なこと。

数学は、すべて生活の必要性から生まれたものです。数学の存在には、長い歴史と理由があります。

数学は、あくまでも生活の問題を解決するための道具です。そして、私たちはその道具を使ってEQを向上させるわけです。

「カオスの中に秩序を見つけ、バランスを保ち、他人を理解する。」

数学の言葉で描かれる感情の風景を理解したいと願います。

少しでも理解すれば、自分自身と他人をより深く理解する手立てとなる気がするのです。