当たり前に思うかも知れませんし、取り立ててお話することでもないのでしょうが、医者は(特に自分の専門分野の)患者さんやご家族の闘病記をよく目にしているものです。
恐らく一般の方が闘病記を読む場合というのは、よほど話題になった本でなければ、その疾患のことが心配だったり、よく知りたい、調べてみたいと思った時でしょう。
医者の場合は、実際に治療を受ける側の心情や経験を共有させてもらう目的であることが多いです。
患者さんは、ある時、生命の危機と直面し、ありとあらゆるものの限界を知ることになります。
でもこれが現実で、限界という壁とどう向き合うかは、患者さんそれぞれです。
この限界は一見ガラスのドアのようなものです。見えないけれどしっかり存在していて、一歩踏み出そうとしたときには強烈に突き当たります。それが限界の痛みです。
こうして私たちは落胆し、一種の「限定的な信念」を築き上げることになります。
けれども、この限界というものは状況によって変わることがあります。元々変化を許さない限界ではなかったかも知れません。
それらを解決する唯一の道具は、「ダメだ」と決めつけていた信念を「疑うこと」です。
もしかしたら、今の状況は永遠に続くものではないかもしれない。そんな「疑い」がちょっとでもあれば、それを足掛かりに新たな一歩を踏み出すことができます。
「疑うこと」は、既存の制限を見つめ直し、それを超える可能性を開きます。
制限や限界は動きます。
それは一日一日を丁寧に重ねて、明日の可能性に基づいて行動することで可能となるものです。
それが「疑うこと」の力、限界を超える力だと言えます。