「慢性疾患を持つ人は、解決すべき問題ではない」

 

YouTubeを見ていたら、こんなタイトルの動画がおすすめに上がっていました。

「ケイト・ボウラー: 慢性疾患を持つ人々は、解決すべき問題ではありません。私たちは愛されるべき人です。」

 

ある日、突然、「あなたはステージIVのがん患者です」という宣告をされ、生存率が30%、2年しか生きられないかもしれないと告げられる。

このお話の主人公、ケイト・ボウラーはそんな経験をした女性でした。彼女は、アメリカの宗教学者で、35歳のときにがんを発病しました。

「おまえ、大丈夫か? 最近顔色悪くない?」と言われると、何だかネガティブな気持ちになりますね。

病気を持っている人にとっては、それが「現在進行形の問題」であり、その人を縛るものです。

「慢性疾患を持つ人々は、解決すべき問題ではありません。私たちは愛されるべき人です。」

このケイトの言葉に、まさにその思いが込められています。

この言葉を私なりに少し説明してみます。

クラスの中で、数学が得意な子がいるとします。それと同じように、音楽が得意な子、絵が得意な子、スポーツが得意な子もいます。

みんながそれぞれ自分の得意なことを持っているように、ある子が持っているものが慢性疾患だったとしても、それはその子がその子である一部です。

もしその子が問題を解決すべき何かとして見られてしまうと、その子自身が人間であること、友達であること、学生であることが見落とされてしまう可能性があります。

それは、数学が得意な子が数学の問題だけ解いていればいいというような、人間の一部分だけを見ているようなものです。

その子が慢性疾患を持っているということは、その子の一部分であると同時に、その子がその子自身であるということを形成している大切な要素の一つです。

なので、「慢性疾患を持つ人々は、解決すべき問題ではありません。」とは、慢性疾患を持つ人々もまた、自分自身を愛され、尊重されるべき存在であるということを示しています。

それは数学が得意な子、音楽が得意な子、絵が得意な子、スポーツが得意な子と全く同じです。

みんなが持っているそれぞれの個性や特性が、一人ひとりを愛すべき存在にしているのです。