「あること」の練習

 

「そこに存在するだけでいい」というのは、慰めの言葉ではなくて、本当です。

「歳は取りたくないもんだ」とついもらしてしまう人の気持ちもわかりますが、何かを「すること」が全てではなくて、ただ「あること」に重きをおく価値観に転換する時期がきたことを認める必要があるのだと思います。

例えば、清明祭などの親戚が集まる場で、そこに赤ちゃんがいたら、親戚中が幸福の気持ちに満たされます。

赤ちゃんは何も「すること」はありませんが、そこに「あること」でみんなの心を温めています。

「すること」以外の「あること」の練習は、私たちのような中年のうちに必要かと思います。

それは、自分の人生観の中に、自分は死んでいくということをどう取り入れていくかということにもつながります。

私の場合、少しでも長く健康でいたいのは、死ぬ時期になってあわてたくないため。死ぬことを忘れたいからではありません。自分の今立っている位置を、いつも逆算していたいのです。

マインドフルネスなどの瞑想は、そこに「あること」の良い練習になります。