禅語「泉聲中夜後」

 

禅語から。南宋の禅僧、虚堂智愚の語録「虚堂録」からの引用です。

 

泉聲中夜後 山色夕陽時

せんせいちゅうやののち さんしょくせきようのとき

 

禅語辞典を紐解くと、こんな意訳がされています。

 

泉が湧き出す微(かす)かな水の音は、静寂に包まれる真夜中を過ぎたころが最も心に響く。山の眺めが最も美しいのは、夕陽がゆっくりと沈んでいくときである。

 

水の音や山の景色に心が動かされるのは、澄み切った空気やその静けさに、私たちの心が同調するからです。

言い換えれば、自然の美しさや優しさを知るには、私たちの心が澄み切っていて穏やかでなければなりません。

「今ここ」に注意を向けるのがマインドフルネスなら、立ち止まって自然の姿に意識を向けるのは、その行為そのものがマインドフルネスと言えます。

けれども、足をとめて「見る」という意識がなければ、気づかないままスルーです。

美しい景色があっても「心ここにあらず」ですから気づきません。

「今ここ」の対義語は「ここにあらず」とも言えますね。

あるところでは、その状態をオートパイロット・モード(自動操縦状態)という言葉で表現していました。

ゆっくりと立ち止まって、味わって見ること。

 

泉聲中夜後 山色夕陽時

 

この禅語を目にするたびに、そうありたいと願います。