禅語「本来無一物」

 

禅語に「本来無一物」という言葉があります。私が好きな言葉です。

「人は生まれながらにして持っているものは何一つない。」という意味です。

「精選版 日本国語大辞典」には以下のようになっていて、微妙にニュアンスが違うのですが、言っていることは同じです。

「存在する物は、本来すべて空(くう)であるから、わが物として執着すべきものは一つもないこと。一切のものから自由自在になった心境。」

平たく言えば「失うものは何もない」という心境ですね。そういう人間は強いです。古い言葉を使うと「裸一貫」あるいは「ふんどし一貫」ってやつです。

 

ルソーがこんな文章を残していました。

飾り立てた服装をしている人は、高尚な趣味の持ち主ではあるかもしれないが、その人が立派な人かどうか、健全な人かどうかは、他のところを見なければならない。

それと同じように、美徳、すなわち頑強な精神は、虚飾とは無縁のものである。

美徳を備えた人間とは、裸一貫で勝負する、いわば精神的にたくましい人のことである。

そのような人は、飾り(肩書き)を嫌う。
なぜならそのような飾りは力を発揮するときの邪魔になりうるし、もともとは何らかの欠点を隠すために作られたものが多いのだから。

 

自分は本来無一物だと思えば、多少の失敗は覚悟のうえです。