ターシャの言葉には、実践者独特の説得力があります。
「生きていることを楽しんで」という言葉は、ターシャのような人物が発するから、素直に受け入れることができる自分がいます。
でなければ、私の中のアマノジャクがぶざまにさんざん嫌味を言いそうです。
本の冒頭にあるテューダの短いメッセージは、読者へ向けてというよりも、老いていく自分に慈愛の心を向けた、優しい言葉でした。
(ここから)
誰でも十代の頃はすばらしい未来を夢見、どんな冒険が待っているのだろうと、胸をふくらませたことでしょう。わたしもそうでした。
おとなになり、結婚をし、子どもが生まれてもまだ、未来は大きな神秘に満ちていました。
やがて人生も半ばを過ぎる頃、ふと振り返ってみると、わたしはいつの間にか、その大きな神秘を歩んできていました。日々の喜び、わくわくするような小さな成果の積み重ね、家族や友人との心温まる交流 ― それこそが、人生という航海で出会う冒険の数々だったことに気づいたのです。
(ここまで)
そして、次の文章にはっとさせられて、本当にそうだと共感しました。
(ここから)
世間を騒がすような嫌な事件は、いつの時代にもありました。
そのようなケースは、ほんとうは少数なのに、
メディアが大々的に取り上げるものだから、
そこまで事件を起こさない人までもが、
それをお手本にして行動してしまうのではないかしら。
まともな生き方は、ニュースにもならないけれど、
そちらの方が大多数であることを、信じましょうよ。
(ここまで)
今こそテューダに倣うべきだと、思います。