スッタニパータ(ブッダのことば 中村元訳)から。
970 「私は何を食べようか。私はどこで食べようか。昨夜は眠りづらかった。今夜はどこで寝ようか」などといった憂いを生む思考を抑制せよ。
キリスト教にも似た言葉があります。(マタイ福音書)
「明日のことを思い煩うな」
古今東西の賢者たちが四六時中忠告しても足りないぐらいに、人はとにかく思い煩ってばかりです。
食事をしていても、誰かに言われた言葉を思い出してはうわの空。誰かと話をしていても、気になっていることが会話の邪魔をして、頭に入ってきません。
「うわの空」の語源は、はるか平安時代にまでさかのぼるのだそうです。
落ち着かない様子を「心空(から)なり」と表現するらしく、「空なる心」をさらに強調する言葉として「上の空の心」と使われたのが始まりだそうです。
「心ここにあらず」の状態が、「うわの空」
仏教は「その時、それに成りきること」を重要視しています。
ティク・ナット・ハン師の「今、ここ」は、まさにそれを簡潔に表した言葉ですね。
そういう私は、いつも家族に「父はすべてうわの空」「話を聞いているようで全然聞いていない」と指摘されていますから、偉そうなことは言えませんが、せめて人の話はちゃんと聞ける人になりたいです。
この世を去った時に「人生すべてうわの空」が私の遺した迷言だとしたら、だいぶ悲しいですから。