漫画「鬱ごはん」

 

「鬱ごはん」の4巻目がKindleに出ていたので購入して読みました。

3巻が出たのがだいぶ前のことで(調べたら2年9か月ぶりだそうです)もしかしたら続刊がないかも知れないと思っていたので、まずほっとしました。

例えるなら、身内と呼ぶには憚れるほどの遠い親戚が、何かの拍子に安否確認できたような安堵感です。

1話完結ですし、主人公の「鬱野たけし」がこの先どうなっていくのかとか、あまり関心を寄せているわけではありませんが、彼がいつもと同じペースで生きていてくれて、良かったです。

そうは言っても、彼の様子がだいぶ年齢を重ねてきたという印象は強いです。

私は「鬱ごはん」の全てのことに共感しているわけではありませんが、「鬱野たけし」の視点に、はっとさせられることが多いのです。

例えば、「123話 パンとサーカス」の中で、彼は映画を観たあと、その帰り道にいつもと同じようにとりとめのない思考を巡らせます。

映画のポスターから、彼が観たのは「JOKER」なのでしょう。途中のお店でテリヤキバーガーセットを食べながらスマホをひろげます。

 

(映画の感想を言語化するのが面倒だからSNSで他人の感想漁って自分と感性が近い意見を探すか)

(映画を観て自分がどう思ったのかすら頭を使わずに手に入れられる)

(愚かでいるのは一種の快楽だ)

 

感想の言語化を他人に任せていること。

思わずう~んと唸ってしまうような視点です。情報に溢れ、情報の入手が容易であることに慣れすぎたために、自分の感想すら他人任せにしてしまう愚かさ。

この漫画がすごいのは、それを批判的にとりあげるのではなく、「鬱野たけし」の自己卑下的な内省ですすめていることです。

生産的な生活を送っている人にとっては「だから何?」の連続かも知れません。

けれども、私はこの「鬱ごはん」を読むと、なぜかほっとするのです。