「ましての翁」

 

鴨長明は平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌人・随筆家として知られています。

「方丈記」の作者として、私などは学生時代に国語か社会の教科書でしか目にしたことがない名前ですが、ほかにも仏教説話集である「発心集」などがあり、今さらでも読んでみると大変面白い話が載っています。

例えば、次に紹介する「ましての翁」

 

近江の国に物乞いをして歩く翁がいた。その者は何事につけても「まして」とばかり言っていたので、人々は「ましての翁」と呼んでいた。

その頃、大和の国にいる聖が、この翁が必ず往生するという夢を見たので、訪ねて、そのまま翁の草庵に泊まった。そしてどのような修行をするのだろうかと聞き耳を立てていたが、全く勤行をしない。聖が「どのような修行をしているのか」と聞くと、翁は全く修行などしていないと答える。聖が重ねて「実は私は、あなたが往生する夢を見ましたので、わざわざ訪ねて来たのです。隠さないで教えてほしい」と言った。

その時、翁は「実をいうと、私は一つの修行をしている。『まして』という口癖がそれだ。飢えている時には、餓鬼の苦しみを想像して、『まして』と言う。寒いにつけ暑いにつけても、寒熱地獄を思っては『まして』ということ、同様だ。いろいろな苦しみに会うたびに、ますます悪道に堕ちることを恐れる。おいしい物を前にした時は、天の甘露はもっとすばらしいと想像して、眼前の物に執着を持たない。もし美しい色を見、すばらしい声を聞き、香しい香りをかいだ時も『こんなものは物の数ではない。あの極楽浄土の荘厳は、何につけても、まして、どんなにすばらしいだろうか』と思って、現世の楽しみにとらわれないようにしているのだ」と言った。

聖はこれを聞いて涙を流し、手を合わせて立ち去った。

 

 

暑いときは「今がこのくらいだから、まして焦熱地獄ではどのくらい暑いのか」

寒いときは「まして八寒地獄に落ちたら、どのくらい寒いのか」

それを思えば、不平不満を言える道理がないというのです。翁は「まして」を口癖にして、いつもニコニコして暮らしていたのだということです。

どんな時でも「ものは考えよう」ですね。ましての翁のように、ものの見方を変えていくワードを持っていると強いかも知れません。