変わらないもの

1994年にシーズン200本安打を達成したイチロー選手がブレイクし、翌年に日産自動車のCMに出演していました。その時のコピーが「変わらなきゃ」でした。

2008年オバマ大統領は「Change Yes We Can!」のスローガンを掲げて就任しました。

当時の、古い価値観や概念を変えて(または捨てて)新しい風を入れていこうとする世間の風潮をよく表した、時代を代表するキャッチコピーだったと思います。

「交流分析」提唱者の精神科医エリック・バーンも「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。」という言葉を残しています。

私も自然とそういう流れで生きてきました。そういう空気の中で育ってきていますから、ほとんど無意識なものです。

一方で、「変わりたいけど変われない」人が、それを自責として自己愛を失ってしまっているケースを経験しました。

マインドフルネスが「ありのまま」を提唱するのは、そういう方たちの救いになると思いました。

最近読んだ斎藤環さんの本にこんな箇所があります。

 

 僕の持論はこうだ。人はしばしば変わることを口にする。しかし人が本当に変わることは難しい。いや、むしろ、こう言うべきか。「変われば変わるほど変わらない」。僕がしばしば引用するフランスの諺だ。実のところ、これは僕の人間観のもっとも根本にある原理のひとつである。

 ただしこれを「しょせん人は変わりっこないんだから、がんばっても仕方ない」という諦観と思われては困る。僕はこのことばに、永劫回帰にも通ずる真理をみているのだと言えばおわかりいただけるだろうか。「人の変化」を肯定するためにこの言葉を用いているということは伝わるだろうか。この言葉にはまた、変化というものが、なんらかの恒常性や普遍性を担保にしなければ起こりえないという意味も含まれているのだ。

斉藤環『世界が土曜の夜の夢なら  ヤンキーと精神分析』角川書店から

 

「変わらないものがあるから、人は変わることができる」

「変わらないもの」の保証があるからこそ、ジャンプができるのだと思います。