前後即因果の誤謬

池田晶子さんの著書のなかで、こんな文章がありました。

 

人は誰も自分の見たいものしか見ることができない。科学を好む者は科学により、オカルトを好む者はオカルトにより。その意味で誰も自分の「偏見」により世界を見ている。そのことを自覚するなら、自分の「偏見」もまた自覚されるはずである。自らの偏見を注意深く除去しつつ、したがっていかなる考えをも排除せず、慎重に思索を進めてゆくのは、ただただ「真実」を知りたいためだ。そうでなければ、何のための「知る」という行為であるか。

 

 

正しいこと知りたいと思う時、気をつけてほしいことがあります。

 

「前後即因果の誤謬(あやまり)」と呼ばれるものです。

 

人は時間の中で前後関係にある2つのことがらを、因果関係で結びつけたがる習性をもっています。

 

そして、いったん因果関係で納得してしまうと、心の中で秩序が生まれ、人はわかった気になって「わかった!」と思ってスッキリしてしまうのです。

 

例えば、ある種の健康食品やダイエット法などは、これを巧妙にアピールします。

 

端的にいうと「使っ」→「効い」→「良かっ」です。

 

これを「3『』論法」といって、語り手の内側で納得感を生じさせてしまうのです。

 

それは知性の問題ではなく、「わかった」という感情の問題です。

 

 

あと、自分が調べるときに気をつけてほしいのは、ネット検索の位置づけです。

 

SNSで誰かが発言したことを鵜呑みにするのは論外ですが、GoogleやYahoo!などで検索するだけで、調べた気になっている方がいます。

 

確かに、自分で入力していますから能動的に調べた気になるのですが、目に留まる検索結果は、たいていAIやら閲覧ランキングに操作されているものです。

 

それは「正しい」を基準にしたものではなく、必ず誘導されてしまっています。

 

ですから、ネット検索をしただけで「調べてみた」というのはおかしいです。それこそ文字通り「検索してみた」だけですから。