映画「THE GUILTY/ギルティ」をネット配信サービスで見ました。
台風の予報待ちで、時間を潰すために何でも良かったので、そこの新着リストにあがっているサムネ(男性の横顔)を考えもせずにポチリとしたものです。
「期待していなかったら良い意味で裏切られた」というのは常套句でしょうが、正直な話、これは大した映画でした。
まるで一人芝居の舞台を見ているようです。
まずは公式サイトで拾ってきた「ストーリー」から。
緊急通報指令室のオペレーターであるアスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)は、ある事件をきっかけに警察官としての一線を退き、交通事故による緊急搬送を遠隔手配するなど、些細な事件に応対する日々が続いていた。そんなある日、一本の通報を受ける。それは今まさに誘拐されているという女性自身からの通報だった。彼に与えられた事件解決の手段は”電話”だけ。車の発車音、女性の怯える声、犯人の息遣い・・・。微かに聞こえる音だけを手がかりに、“見えない”事件を解決することはできるのか―。
そうは言っても、指令室と現場の場面が交互に入れ替わるのがドラマというものです。
しかし、この映画はとにかくほとんどアスガーの顔のアップだけで全編が過ぎていくのです。
あとはアスガーが聴く電話の声や音だけ。あるいは指令室の中にいるほかのオペレーター仲間の存在だけ。それもアスガーが見える範囲でしか登場しません。
しかも、最近はやりの音声やノイズの科学分析捜査など入り込む余地もありません。頼りはアスガーの警察官としての直感と機転です。
画面の削ぎ落しを限界まで行っているので、ラジオドラマか?と思うでしょうが、ラジオドラマと違うのは、アスガーの息づかいや表情の演技がある分だけ、緊迫した沈黙のシーンがたっぷりとあるのです。(ラジオドラマでこれをやったら放送事故です)
ですから映画でなければならない必然はそこです。
とにかく脚本家に脱帽しました。これをやった最初の映画だと語り継がれることでしょう。
面白い映画でした。