茨木のり子さんの詩に「知命」という詩があります。
「知命」とは、天命を知る年のこと、つまり50歳のことです。
論語に「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」という言葉があるので、「ああ、あれか」と思われるでしょう。
茨木のり子さんが、ちょうど50歳の時に書いた詩なのだそうです。
以前に読んだことはあったのですが、今50歳代になって読むと、改めてこの詩を実感します。
「小包の紐」はなかなかほどけません。
悪戦苦闘して自分でほどこうとしたつもりでいても、誰かのやさしい手に支えられていたのだとふと気づくものです。
こういう詩は座右に置いておいて、何度も自分を振り返る銘にしたいものです。
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「知命」
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらかった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏で切れいと進言するが
肯じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きてるよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が添えられていたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで
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