フロイトの精神分析の基本は、「『こころ』というものはすべて言葉でできている」というものでした。
世の流れだったとは言え、かつてウチナーグチを捨てようとしたばかりにアイデンティティを失いかけた沖縄の例を取り上げるまでもなく、「こころ」と言葉は密接な関係があります。
一方、仏教では「こころ」を「外の世界を認識するはたらき」と認識しています。
触覚をはじめ、感覚そのものが「こころ」だという表現をしている方もいらっしゃいます。
外の世界を感じたときに意識にのぼってきた言葉。
それが「こころ」の色を印画紙のように定着させます。
ですから、外から入ってくる情報が変化すると、「こころ」も変化していきます。
言葉によって、ストーリーをひとつひとつ積み重ねてしまうのです。
「こころ」が強いという方は、外からの情報に左右されない方です。
逆に弱い方というのは、外からの情報と一緒になって「こころ」が揺れ動いています。
「こころ」が揺れ動くとき、実況中継するように、できるだけ言葉で表現してみることをおすすめしています。
今、ストーリーがどんな展開なのか、言葉にして理解してみるのです。
外からの情報に振り回されているときは、それがすべてになってしまって、意外に自分の「こころ」がわからなくなっていることがあります。
情報の多さと速さに圧倒されてしまって、自分の言葉が、追いついていかないのです。
言葉を大事にするということは、自分の「こころ」を大事にすることです。
それは、今まで何度も言ってきたように、自分にしかできないことです。
自分のために、良い言葉を遣いましょう。