瀬戸内寂聴さんの言葉に次のようなものを見つけました。
「京都には『日にち薬』という言い方があります。
どんな苦しみもやがて時間が忘れさせ、癒やしてくれます。
…愛別離苦の悲しみ、辛さを癒やしてくれるのは、月日という時間の薬だけということです。」
「時間が解決してくれる」という言葉は決して慰みだけの言葉ではありません。
不変の事柄がこの世にありえないように、時間は悲しみや辛さを変化させてくれます。
時間が過ぎて、打ちのめされて倒れたヒトが自ら立ち上がり、歩き出していく姿は、多くの機会で目撃してきました。
その姿は感動的で、見る者を励まして奮い立たせてくれるものです。
ただし、「怒り」や「憎しみ」は、時間が解決することがないように思います。
これは、それらの感情を抱えるヒトの意志の強さを色濃く反映します。あまりに強い情念は「執念」や「怨念」とも呼ばれるかも知れません。
私は「怒り」や「憎しみ」が変化するには、「ゆるす」プロセスが必要であると考えています。
「ゆるす」という自己変革がなければ、ずっと「怒り」「憎しみ」の渦に巻き込まれたままです。
何をゆるすのか。
これが、やはりなかなか難しい。
「自分をゆるす」なんて言っても「自分にウソをつかない」ぐらいのレベルで難しいです。