ずっと前から読み始めて最近やっと読了した本です。途中で何度も挫折しかかって、どうしても読み進められませんでした。
黒澤明監督が映画「生きる」を作る着想を得た作品だということ、そして、医師をしている友人が「医者だったら絶対読んだ方がいい」とすすめてくれたのが手にしたきっかけでした。
舞台は19世紀のロシア。
主人公であるイワン・イリイチは、ロシアで出世を果たしてきた裁判官です。上品で安定した生活をすることを是とする上流社会の人物です。
同じ階級の人間たちと同様、自宅で開く晩餐会や、友人たちとのカードゲームを楽しむ他愛のない毎日が幸せでした。
そのイワン・イリイチが、ある日自宅ではしごから落ちて脇腹を強打するという怪我をしました。
ただの打撲と思っていた怪我が、徐々に痛みを増悪させ、彼の体調を狂わせていきます。
第4章で、医師の診察を受けたイワン・イリイチは医師と会話しますが、医師の語る言葉が理解できずに苦しみます。
医師は雄弁に語ったかも知れませんが、イワン・イリイチにとって「大事な問題はただひとつ、自分は危険な状態にあるのかどうかということだけ」なのでした。
しかし、医師の観点、議論からすれば、イワン・イリイチの問題は場違いなものとして扱われるだけでした。
「その結論がイワン・イリイチに痛烈な衝撃を与え、彼のうちに自身への大きな哀れみの感情と、これほど重要な問題に対して無関心な相手の医者に対する大きな憎しみの感情を呼び覚ましたのであった。」
イワン・イリイチは帰り際に医師に直接的な質問をします。
『私たち病人は、おそらく先生にしばしば場違いな質問をするでしょうが…全体的にみて、これは危険な病気なんですか、どうですか?』
『私はすでにあなたに必要と思うこと、適切と思うことをお話しました。』
イワン・イリイチは病院から出て帰宅途中に、医師の言ったことを逐一反芻し、なんとか込み入った、あいまいな学術用語を、そっくり普通の言葉に翻訳しようとしました。
「そしてそこに『自分は悪いのか―それもひどく悪いのか、それともまだ大丈夫なのか?』という問への答えを読み取ろうとしたのである。」
イワン・イリイチと、この医師をはじめとした複数の医師たちとの関わりはどれも同様でした。
自分の見解に夢中になる医師たち。
彼の孤独感が際立つシーンです。
イワン・イリイチだけは彼の容態が徐々にですが着実に悪化していくのを感じていました。
自分は死ぬかも知れない。でも、なぜ?
なぜ、自分は死ななければならないのか?
それはしつこく繰り返される出口のない自問でした。
「きっと良くなる。死ぬわけがない。」という家族や医師たちと、ある時点から死を覚悟するようになったイワン・イリイチとの間に「嘘」というどうしようもない溝ができます。
けれども、従者のゲラーシムという男だけは、「弱った主人のお世話をするのは当然」と嘘偽りのない言動で寄り添ってくれました。
ゲラーシムだけが「死は誰にでも訪れる」ことを理解し、主人の死に寄り添おうとしてくれていたのです。
イワン・イリイチにとって、彼との絆だけが救いでした。
死を前にした人。それは特別なことではなく、人間である以上誰もが通るべき道です。
なぜ死ぬのか?
いかに死ぬべきか?
イワン・イリイチの自問は時を経て黒澤明監督に受け継がれ、「生きる」という名作を生み出したのだと思いました。