幸福のパラドックス

幸福ほど逆説的な概念はないとされています。

幸福を追い求めれば追い求めるほど逃げて行ってしまうということは、古くから見抜かれていました。

「幸せになりたい」という願いの過ぎた追求は、さらなる欲望を招き、やがて欲望の虜になって、心は満たされず、虚無感に覆い尽くされてしまうことになります。

自分の幸せばかりを追い求める人間は、手に入れることができないばかりか、かえって「不幸せ」な状況となってしまう。

幸福の追求は、幸福の邪魔をする。

これを「幸福のパラドックス」と呼んでいます。

 

V.E.フランクルは、幸福についてこんなことを言っています。

「幸福になる理由が存在する場合には、自ずと、つまり自然発生的かつ自動的に、幸福は結果として生まれてくる。」

幸福は追い求めるものではなく、自然にそうなっているものなのだよと言っているのです。

 

「真の自分」についても、追い求めれば逃げていく、似たようなところがありますね。

私にとって「真の自分」というのは、生きる意味を知っている人間、自分の使命を自覚し、本当にやりたいことに力を注いでいる人間だという理解です。

これに対しても、V.E.フランクルはこう言っています。

「逆説的ではあるけれども、人は何かのため、誰かのため、すなわち大義のため、友人のため、神のために、自分を失う地点に達してはじめて、真の自分を発見するのである。」

何かのために自分を失ってはじめて、真の自分を発見する。

求めれば逃げる。失えば、見つけられる。

禅話のような話になってしまいました。

 

けれども、感覚的に賛同している自分がいます。

 

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