あわてもの、軽はずみでそそっかしいことを「粗忽」と言います。
「そそっかしい人」で真っ先にあがる代表が「サザエさん」だと思いますが、落語の世界ではそのレベルではありません。
「粗忽長屋」に出てくる登場人物たちのお話は、何が何だかわけがわからなくなります。
柳家小さん師匠の「粗忽長屋」は絶品で、内容が内容だけに、理屈を通り越した趣があります。
まくらの「どこかで見たことがあるけれども、名前が思い出せなくて、愛想笑いで挨拶して名前をお聞きする」というお話は、観客も期待する「待ってました」のまくら話です。
こういう経験は誰もがあるものの、そこまでじゃないよなあと笑ってしまいます。
粗忽きわまる2人の男の話なのですが、その訳のわからなさは群を抜いています。
そのバカバカしさに笑い転げるのですが、最後のセリフにふと考えさせられてしまいました。
「なんだか兄貴、わかんなくなっちゃたな、おれぁ、…抱かれてんのはたしかにおれなんだが…抱いているおれは、一体だれだろう?」
この粗忽ぶりは「サザエさん」というよりも「天才バカボンのパパ」に通じているのかも知れませんね。
「反対の賛成なのだ。」
https://youtu.be/2w-dYYjePyk