作者はスリランカ上座仏教の長老です。スリランカ生まれの方で、初期仏教の伝道に力を注いでいる方です。
この本では人はなぜ怒るのか?怒りの起源から生命とはなにか、人生とはなにかということを深く分け入って説いてくれています。
特に仏教では怒りを10種類に分類してとらえているのですね。
1. ドーサ(dosa) 基本的な怒り
2. ヴェーラ(vera) 激怒
3. ウパナーハ(Upanaha) 怨み
4. マッカ(Makkha) 軽視
5. パラーサ(Palasa) 張り合い
6. イッサー(Issa) 嫉妬
7. マッチャリヤ(Macchariya) 物惜しみ
8. ドゥッバチャ(Dubbaca) 反抗心
9. クックッチャ(Kukkucca) 後悔
10. ビャーパーダ(Byapada) 激怒
どれも勉強になるのですが、4.のMakkhaは、「欠点を探してやるぞ。嫌なところを探してやるぞ」という心。だから常に気分が悪い。
いわゆる「相手の弱点や欠点を見たい」というアラ探しの怒り。
このように自分の怒りの種類を細かく観察することで、怒りを発見することができますし、分析することもできます。
本書の「はじめに」の文章が「怒らないこと」の重要性を示してくれていますので引用してご紹介します。
怒らないこと。それは人生を幸せに生きるために欠かせない、大切な心構えです。
しかし、「怒ることは悪い。だから怒らないようにしよう」と頭ではわかっていても、実際はそうなりません。
「怒る」ということは、そうとうに根深い問題なのです。
この本でお話ししようとすることは、「怒らないこと」というのは、実は人が生涯をかけるにふさわしい、人生の目標とするに値するテーマなのだということです。
(中略)
世の中はおかしなことに、「怒るのはよくない」と言っている言葉とは裏腹です。
本当のところでは「怒りは悪である」と、きちんとわかっていないのです。世間の本音は「いざとなったら怒るのもしょうがない。それで解決することもある」というものです。
しかし、心の科学である仏教の立場から言わせていただくなら、「どんな怒りであろうと、怒りによる行為の結果は、かならず不幸である」ということです。
(中略)
怒りは、智慧と理解で克服するものです。我慢するもの、押さえつけるものではありません。
怒りの克服とは、幸福になるプロセス、自分が成長できるプロセスです。
それを一歩、一歩、進んでいくことです。
本書の中でポイントとして「怒りでやることは、なんでも失敗する」ということを示していました。
思い返せば確かにそうです。
義憤に駆られて行動を起こしたつもりでも、誰かがかならず不幸になっています。
何より自分が暗くて気持ち悪く、後で強い後悔に苛まれるのがオチです。
決めつけないことが大切ですね。
人の心について、私は何もわかっていないようです。
もっと学んでみたいと思いました。