自分の怠けグセの対処法をマザー・テレサを引っ張り出してくるのも実際おこがましいと思うのですが
以前から心のよりどころにしているマザー・テレサの言葉があります。
私は道具にすぎません。神のてのひらのなかにある小さな鉛筆のようなものです。
私たちのような弱くて不完全な道具を使うことで、神はいまでも謙遜を示しておいでです。
仏教でも、「ブッダに帰依する(よりどころとする)」という表現をつかったりします。
つまり、私ではなく私の中にいるブッダにしていただくという意味です。
ブッダが呼吸し、歩む。
私が呼吸するのではないし、歩むのでもない。
朝、眠くて寝床からなかなか起き上がれそうにない時。
怠けグセの最たる時です。特に火曜日の朝は最悪です。
マザー・テレサがいうように、私ではなく道具として動かしてもらうことにしています。
そうでなければ、私の中のブッダに起きてもらいます。私が起きるのではなく。
「オレは眠いままだ。眠いままでも起きてもらうのだ。」
この感覚。
わかりづらいだろうなあと思いつつ、文章にしてみました。