「挨拶」という言葉が禅語に由来するというのは、よく知られたお話ですね。
中国の禅宗の仏教書「碧巌録」には、こんな一節があります。
「一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶に深浅を見んことを要し、向背を見んことを要す。」
意味は「弟子の修行僧に一つひとつ言葉をもって話しかけ、一つひとつ相手の心境を読み解き、一つひとつそれに対応し、一つひとつ心を押し開いて問答を押し迫り、相手の悟りの深浅を見、また様子を観察しなければならない」というものです。
「一挨一拶」は「一つひとつ心を押し開いて問答を押し迫り、相手の悟りの深浅を見」という部分になります。
「挨拶」の「挨」は押すこと、「拶」は迫ることという意味。
広辞苑にも「禅家で、問答を交わして相手の悟りの深浅を試みること」とありますから、口頭試問のようなものなのでしょうか。
弟子の修行僧にしてみれば、それが日常的に行われていたわけですから、厳しかったかも知れません。
それが、現代では「挨拶」は人間関係を円滑にするコミュニケーションの第一歩です。
けれども、挨拶ひとつで相手の機嫌や体調、気持ちの浮き沈み具合がわかりますから、悟りの深浅ではありませんが、禅語「挨拶」と全く無関係になったわけではないですね。
やはり「挨拶」は大切にしたいものです。