グレッグ・イーガンの短編集を読んでいます。
ある方が推薦していたので読んでみたのですが、「今までなぜこの作家を知らなかったのだろう?」と残念に思うほど夢中になって読んでいます。
SF小説です。
しかし、扱っている題材は共通しているようです。
それは、まさしく「自我について」。
まるで永井均さんの〈私〉を補足説明する副読本のような小説でした。
SFの世界では、あらゆる仮定が実現可能です。
そして、SFだけでなく、哲学もきっとそうなのでしょう。
(ただし、その「仮定」をひねり出すのが、どちらの分野でも非凡を必要とするのでしょうが。)
「ぼくになることを」というタイトルの短編は、自分の脳のコピーを自分の実際の脳と入れ替える習慣のある未来世界を描いています。
実際の脳が劣化しないうちにということで、30代になる前には入れ替えの儀式を迎える中で、コピーに入れ替わった自分は果たして自分なのか?という素朴な疑問を読者に問いかけてきます。
「貸金庫」という短編も、「自我」と「肉体」の同一性への疑問が投げかけられます。
グレッグ・イーガンの短編はどれも面白いのですが、私には深く考えることになって、少々重いかも知れません。(少なくとも爽やかな読後感ではありません。)
今、とても気になる作家です。少しずつ読んでいこうと思っています。