この本は澤木興道老師に24年間随侍した内山興正老師が、自分自身の修行の指針とするために書き留めた澤木興道老師の言葉の数々が綴られています。
その第12章。「坐禅してもマシになったとは思えないあなたへ」という章では、特に坐禅について澤木興道老師の辛辣で痛快な言葉が続きます。
「『なんにもならんこと』を自信を持ってしておるところが、おもしろくはないか。」
「よう『禅をやって、ちょっとマシな人間になろうと思いまして』と言うてくるのがある。
坐禅は人間の修養ではない。
人間の廃業である。」
「よう『禅は無心になることでしょ』などと言いおる。―無心なんて、死ぬまでならんわい。」
「坐禅してよくなると思うておる。そうじゃない。『よしあしを忘れる』のが坐禅じゃ。」
「坐禅しておると、よう妄念がおこりますと言うてくる人があるが、妄念がおこるということがわかるのは、波風がおさまりノボセが下がったからである。」
人間の廃業、よしあしを忘れる…。どの言葉も逆説的なようでいて、なるほどと感心しました。
どうしてでしょう。時々、こういう方に叱られたいという衝動にかられます。
自分の自堕落さをなんとかシャンとさせたいと思うからでしょうか。