正岡子規が病床において執筆した随筆集として知られる「病牀六尺」
死の2日前まで書き綴ったということですから、その凄絶さに言葉もありません。
1回目の随筆の書き出しがタイトルの説明にもなっています。
一
〇病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病寐が余には広過ぎるのである。僅
(わず)かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団(ふとん)の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。
(略)
特に心打たれるのが、六月二日の日付がついた文章です。
二十一
〇余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
〇因(ちな)みに問ふ。狗子(くし)に仏性(ぶつしよう)有りや。曰(いわく)、苦。
また問ふ。祖師(そし)西来の意は奈何(いかん)。曰、苦。
また問ふ。………………………。曰、苦。
(六月二日)
どんな時でも、どんな局面であっても、平気で生きていること。
病に冒されつつも、その苦痛さえもありのままに、生き通すという凄まじいまでの境地。
それを悟りと呼ぶ彼の気迫が感じられます。
「病牀六尺」は青空文庫で読むことができます。
こちら → 「病牀六尺」
ゆっくり時間をかけて、読み返してみたくなりました。