声と鉛筆と算数の30分 ― 12週間後の認知検査に残った小さな変化

声と鉛筆と算数の30分 ― 12週間後の認知検査に残った小さな変化

 

コンビニの雑誌コーナーには、脳を鍛えるとうたうドリルやパズル誌が並んでいます。

子どもの学習用ではなく、大人向けの「脳トレ」です。

2005年に発売された『脳を鍛える大人のDSトレーニング』はシリーズ化され、大人やシニアへゲーム機の裾野を広げる大ヒットとなりました。

私も、赤い字で表示された「青」を前に、文字ではなく色を答える課題にあたふたしたものです。

 

それから20年、「脳トレ」という言葉はすっかり暮らしの中に定着しました。

2025年に報告された「StrongerMemory」が組み合わせたのも、音読、手書き、簡単な算数という三つの見慣れた動作でした。

対象は55歳以上で、もの忘れなどを自覚しながら、認知症とは正式に診断されていない人たちです。

それぞれに毎日10分ずつ取り組み、12週間続けました。

読むものや書く内容は自分で選べましたが、週に一度は参加者同士で進み具合を確かめ、欠席者には継続を促す連絡もありました。

 

参加した171人のうち、12週間を終え、前後のデータがそろったのは102人でした。

平均年齢は76歳です。

研究チームは15点満点の短い認知検査を開始前と終了後に行い、同じ人の点数を比べました。

何もしない人や別の活動をした人と比べた研究ではありません。

 

完遂した102人の総得点は、12週間後に15点満点中、平均0.53点高くなりました。

その上昇の大半は、先に覚えた言葉を思い出す再生課題から来ていました。

日時や場所を答える見当識と、決められた文字から始まる言葉を挙げる言語流暢性には、はっきりした変化がありませんでした。

「認知機能全体がよくなった」とまとめるより、「思い出す課題に小さな変化が現れた」と書くほうが、この結果に近いのです。

 

記憶の自己評価にも動きがありました。

「1年前と比べて記憶はどうか」という回答が、平均では「少し悪い」側から「ほぼ同じ」へ寄ったのです。

ただし、これは質問票全体ではなく一つの質問であり、12週間の変化を直接尋ねたものでもありません。

また、高齢者居住施設で暮らす17人では、認知検査の平均点がむしろ下がっていました。

この集団は少人数で、年齢や男女の割合もほかの群と異なります。

住む場所が結果を変えたとは言えませんが、すべての居住群で平均点が上がったわけではありません。

 

そして、0.53点を三つの課題の効果と決めることもできません。

同じ検査を二度受けたことによる慣れ、週一度の交流や励まし、研究に参加したことへの期待を区別できないからです。

途中で離れたりデータがそろわなかったりした69人は解析に含まれず、結果は始めた人全体ではなく完遂者についてのものです。

原著には前後差の信頼区間が直接示されておらず、推定の幅を本文や表からそのまま確認することもできません。

参加者の多くは女性、非ヒスパニック系白人、大学卒以上でした。

日常生活での記憶、認知症への進行、変化が長く続くかどうかも測っていません。

 

この研究の面白さは、簡単な習慣で認知低下を防げたことではありません。

そこまでは調べていません。

音読、手書き、算数という見慣れた動作を組み合わせたあと、完遂者の検査で確認できたのは、認知機能全体の底上げではなく、主に言葉を思い出す課題の小さな変化でした。

本と紙と鉛筆で始まった12週間の研究に残ったのは、その慎ましい差でした。

 

参考文献:

Ihara ES, Kang H, Tompkins CJ, et al. Can brain exercises mitigate cognitive decline? A quasi-experimental evaluation of the StrongerMemory program. Educational Gerontology. Published online July 10, 2025. doi:10.1080/03601277.2025.2528677.

 

 

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。