月末、家計簿の残高と通帳の残高が合えば、計算は終わったと思えます。
ところが、別の明細を使うと違う答えが出るなら、話は終わりません。
最後の数字から一つずつ戻り、どの記録を使ったのかを確かめる必要があります。
とても小さな粒子「ミューオン」の研究で、物理学者たちも数字をたどり直すことになりました。
ミューオンを磁石の中に入れると、その向きが少しずつ回り続けます。
その回り方から求める数字が「g−2(ジー・マイナス・ツー)」です。
この数字は、今知られている粒子と力だけを使って計算した予測と比べられます。
2001年、ブルックヘブンで測ったg−2は、当時の予測より大きくなりました。
まだ知られていない粒子が計算に入っていないのではないか、と注目されたのです。
2020年、研究者たちは予測を計算し直しました。
翌年、フェルミラボが新しい測定結果を発表しました。
新しい予測と測定の差は、物理学で「新しい現象を発見した」と呼ぶ目安に迫りました。
この「理論の予測」には、別の実験で測った数字が入っていました。
ミューオンのg−2を求めるには、クォークという粒子が関わる難しい部分を計算しなければなりません。
従来の方法では、電子と、電気の性質が反対の陽電子をぶつけ、パイオンという粒子がどれくらい生まれるかを測ります。
その測定値を材料にして、g−2を予測していました。
ミューオンの「理論」と「実験」の比較には、別の実験結果も組み込まれていたのです。
2021年、BMWという研究グループは、この難しい部分を別の方法で計算しました。
時間と空間を細かなマス目に分け、クォークの働きをコンピューターで求める「格子計算」です。
この予測は、フェルミラボの測定と合いました。
その後、別の研究グループによる格子計算でも、よく似た値が報告されました。
フェルミラボの測定と格子計算の間には、従来の方法で見えた大きな差がありませんでした。
その一方で、従来の方法による予測と格子計算は合いませんでした。
ひとつの謎が解けたように見えた瞬間、その一致が、さらに奥にあった食い違いを浮かび上がらせたのです。
従来の予測を作る材料の一つが、電子と陽電子の衝突でパイオンが生まれる割合です。
粒子を高速でぶつけるVEPP-2000という装置では、2010年、生まれた粒子を捉える新しい検出器が導入されました。
2023年に公表された測定値は、同じ施設で以前に得た値と異なっていました。
両者がどれほど離れ、誤差を含めると差をどう評価できるのかは、今回の資料からは分かりません。
フェルミラボの測定と格子計算は合いましたが、従来の予測に使われるパイオン生成率は、新旧の測定で一致しませんでした。
同じ装置にある別の検出器の結果も、新しい値に近いように見えますが、まだ予備段階です。
BMWの格子計算は新しい値を間接的に支え、ほかの研究グループは格子計算を使って新しい値との関係をより直接に調べました。
BABARという実験チームが2023年に過去のデータを調べ直すと、結果は古い値とよく合いました。
約40年にわたる多くの測定も古い値と合っています。
新旧どちらが正しいのかは、まだ決まっていません。
未知の粒子の影響が残るのか、実験の手順に見落としがあるのかも分かっていません。
ミューオンの測定値と格子計算による予測は合いました。
家計簿と通帳の残高がそろった机の上で、パイオンを記した新旧2枚の明細だけが、まだ別の数字を示しています。
参考文献:
Physicists Solve a Big Quantum Mystery. Now, Old Results Don’t Add Up. Quanta Magazine. Published July 30, 2026. https://www.quantamagazine.org/physicists-solve-a-muon-mystery-now-old-results-dont-add-up-20260729/

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
