何かが「ある」と言うとき、私たちはたいてい、それを出して見せます。
財布のお金も、引き出しの鍵も、手に取って差し出せば話が早いのです。
見せてもらえないものは、本当はないのか、と疑ってしまう。
目で確かめられないものを、なかなか信じられません。
あるなら見せてほしい、というのが、私たちの言い分です。
数学者も、似た場面に出会います。
点を線で結んだ図の中に、ある特別な条件を満たすものがある。
本当なら、具体例を取り出して「これです」と示したいところです。
ところが図が複雑で、1つずつ確かめるやり方では追いつきません。
あるはずなのに、差し出せない。
それでも、確かにあると言いたい。
困った立場です。
では、その「手で確かめる」やり方がどこまで通用するのか、鉛筆を持ってみます。
いくつかの点をすべて互いに線で結び、赤と青で塗り分けます。
同じ色の線だけでつながった三角形だけは、作らないようにします。
点が5つまでなら、工夫すれば塗り分けられます。
ところが6つに増やしたとたん、どう塗っても、同じ色の三角形ができてしまいます。
手では、もう避けられません。
1947年、ハンガリーの数学者ポール・エルデシュは、一つひとつ試すのをやめました。
組み立てて見せる代わりに、すべての塗り方をまとめて考えます。
コインを投げ、表なら赤、裏なら青と、でたらめに配置します。
大事なのは、うまくいく確率が0かどうかです。
0なら、うまくいく塗り方は出てきません。
0より少しでも大きければ、「うまくいく塗り方が1つもない」とは言えません。
1つもなければ、確率は0になるはずだからです。
塗り方の山のどこかに、条件を満たすものが少なくとも1つは紛れている。
でたらめが証明の足場になるとは、思い切った考え方でした。
先ほど、点が6つで同じ色の三角形を避けられなくなりました。
この境目の点の数を、ラムゼー数と呼びます。
赤と青で避けたい大きさが近いほど、この境目は突き止めにくく、長く進みませんでした。
そこへ、図形を研究していた1人の大学院生が現れます。
本来は関係のないはずの「遠い・近い」を持ち込んだのです。
高い次元の球面に点を撒き、遠い点どうしは赤、近い点どうしは青、と距離で色を決める。
球面は次元が高すぎて、私たちの距離の感覚は通じません。
赤い大きな集まりには遠い点ばかりが要りますが、それが、この球面ではそろいません。
赤い集まりを抑えると、近い点どうしの青い集まりが増えます。
抑えた赤の分、青が顔を出す。綱引きのような関係です。
割に合わないのでは、と仲間内でも言われたそうです。
赤い集まりを、青い集まりより小さい段階で避けたいときは効きますが、二つが同じ大きさだと利点は消えます。
進んだ幅も、気が遠くなるほどわずかでした。
それでも、この方法でしか押し出せない一歩があったのです。
コインで色を撒いた山にも、球面に点を撒いた山にも、狙った塗り方は1つ紛れていました。
手つきはまったく違うのに、どちらも「見せられないけれど確かにある」同じところへたどり着く。
半世紀のあいだ動かなかった境目が、わずかとはいえ、前へ押し出されたのです。
実物を見せてもらわなくても、「ある」と分かることがあります。
きちんと並んだ棚の上ではなく、でたらめに撒かれた山の中に、探していたものは、もう紛れているのかもしれません。
今度何かを探すとき、きちんと整った棚よりも、雑多に積まれた山のほうに、つい手を入れてみたくなります。
参考文献:
Sloman L. After 80 years, mathematicians give famed ‘Erdős method’ an upgrade. Quanta Magazine. Published June 26, 2026.

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
