小さな子どもがおままごとをしています。
空のカップを傾けて、入っていない紅茶を注ぎ、飲むふりをする。そこには何もありません。
それでも子どもは、そこに何かがあるかのようにふるまいます。
こうした「ふり」は、長いあいだ人間だけのものだと考えられてきました。
目の前にないものを心に思い描く力は、人と動物を分ける線の1つだとされてきたのです。
人間の子どもなら、2歳でおままごとを始めます。
生後15か月の赤ん坊でさえ、空にしたはずのカップから飲むふりを見ると、表情で反応を返します。
一方、動物は「いま・ここ」に縛られて生きている。
多くの人がそう感じています。
犬や猫がどれほど賢く見えても、空想やごっこ遊びは別の話だ、と。
野生の若いチンパンジーが棒を赤ん坊のように抱える姿や、飼育下のチンパンジーが、ありもしない積み木を床で引きずるしぐさは報告されてきました。
けれども、それらは断片的な目撃談にとどまり、条件をそろえて確かめられたことはありませんでした。
ジョンズ・ホプキンス大学のクリストファー・クルペニエとアマリア・バストスは、この「ふり」を、統制された場面で試せないかと考えました。
目撃談をもう1つ増やすことが目的ではありません。
そこにないものを、相手のふるまいにそって追えるのか。
しかも、それを本物とは別のものとして扱えるのか。
その一点を確かめようとしました。
相手は、アメリカの霊長類施設で暮らす43歳のボノボ、カンジです。
カンジは以前から、ごっこ遊びに見えるふるまいを見せ、指さしで質問に答えられることが知られていました。
実験は、子どものおままごとによく似ています。
テーブルをはさんでカンジと向かい合い、透明なカップと、空のピッチャーを置く。
研究者はピッチャーを傾け、入っていない果汁を2つのカップに注ぐふりをします。
そして片方を勢いよく振って、中身を捨てるふりをする。
それから「果汁はどこ?」と尋ねます。
カンジは、まだ果汁が「残っている」ほうのカップを指さしました。
カップの位置を入れ替えても、正しいほうを追いかけます。
本物の果汁と、ふりの果汁を並べて「どれがほしい?」と尋ねると、ほぼ毎回、本物のほうを選びました。
ぶどうを使った3つ目の実験でも、カンジは、入れたことになっている容器を選びました。
完璧ではありませんでしたが、反応は一貫していました。
ないものを本物と思い込んだのではなく、ないものを「ふりのもの」として扱っているように見えたのです。
では、この力はどこから来たのでしょう。
研究者たちは、その始まりが600万から900万年前、人とボノボの共通祖先のあたりにある可能性にふれています。
人間の子どもとカンジが別々の場所で見せたものは、それぞれが新しく手に入れた芸ではなく、ずっと古い1本の枝の先なのかもしれません。
ただし、確かめられたのは1頭、しかも人とともに育った特別なボノボです。
ここから全動物へ話を広げるには、まだ距離があります。
それでも、空のカップを指すカンジの手は、私たちに1つの像を残します。
目の前にないものを心に置くこと。
果汁を、ぶどうを、そこにあることになったものを。
おままごとをする子どものそばに、カンジが少し離れて座っているようにも見えてきます。
動物園のガラスの向こうから、こちらを見ている目があります。
参考文献:
Callaway E. This bonobo had a pretend tea party – showing make believe isn’t just for humans. Nature. Published online February 5, 2026. doi:10.1038/d41586-026-00357-7

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
