レストランに入るところを思い浮かべてみます。
店に入る。
席に案内される。
メニューを開く。
注文する。
料理を待つ。
食べる。
会計をする。
ひと続きの時間を、頭の中でいくつもの場面に分けています。
その区切りがあるから、私たちは次に何が起こるかをだいたい予想できます。
店員さんが水を置けば、次は注文だろうと思う。
皿が下げられれば、そろそろ会計だと思う。
けれど、同じレストランにいても、場面の変わり目は人によって少し違うかもしれません。
料理がなかなか来ないところで、「待っている時間」から「何かおかしい時間」に入ったと感じる人がいます。
心配とは、頭の中で言葉が増えることではなく、次に何が起こるかを早めに読もうとする、未来への身構えでもあります。
そう考えると、不安を「心配が多い性格」とだけ見ていると、肝心なところが少し見えにくくなるかもしれません。
同じ出来事でも、どこで別の場面に入ったと感じるか、その境目が人によって変わりうるからです。
シカゴ大学のグループが、この見方を映画と脳活動で確かめました。
まだ査読前の報告です。
参加者が観るのは、サスペンス仕立ての8分余りの映画。
研究チームは、不安傾向が強めの人たちと弱めの人たちを選び、年齢や記憶力に大きな差が出ないよう比べました。
ここでいう不安は診断名ではなく、質問票の点数で見た傾向です。
確かめたのは、不安な人が映画をちゃんと見ているかではなく、同じ流れのどこに切れ目を入れているか、でした。
切れ目の数は、2つのグループでほとんど違いませんでした。
脳の領域ごとの区切りの細かさの順序も、よく似ていました。
違っていたのは、切れ目を置く位置です。
不安傾向の弱い人たちは、互いに近い場所で映画を区切っていました。
一方、不安傾向の強い人たちの切れ目はばらつき、弱い集団とも、強い人同士とも、重なりが小さくなっていました。
場面そのものではなく、場面の継ぎ目に、その人らしさが宿っていました。
位置がばらついたのは、主に、注意をどこへ向けるかに関わる脳の領域でした。
そして、ばらつきが大きくなったのは、映画のなかで緊張が高まる場面です。
こわい場面で気をそらしていただけではないか、とも思えます。
けれど結果は逆でした。
脳活動から見ると、緊張する場面ではむしろ注意が高まり、それは2つのグループで変わりませんでした。
目をそらすどころか身を乗り出し、それでも継ぎ目を、人それぞれの場所に置いていました。
似た形は、不安とは別のところでも見つかっています。
孤独を感じやすい人は、同じ映画や言葉を人ごとに違う形で受け取り、そうでない人同士は受け取り方が似通うと報告されています。
研究者たちは、この似た形をある小説の一行になぞらえます。
幸福な家庭はどれも似ているけれど、不幸な家庭はそれぞれに不幸である——あの一節です。
人を幸福、不幸に分けたいのではありません。
多くの人と同じ形に収まる経験もあれば、その人の輪郭でしか刻めない経験もある、というだけのことです。
ただし測ったのは記憶ではなく、見ている最中の切れ目の位置です。
映画が終わり、部屋の明かりがつきます。
隣の人が振り返って、「あの場面ね」と言います。
その人が思い浮かべた一瞬は、こちらの一瞬と、ほんの少しずれているかもしれません。
同じ時間を並んで観ていたはずの2人が、それぞれの場所に立って、別々の継ぎ目を引いていたのかも知れません。
参考文献:
Liu ATH, Chen J, Park J, Kim H, Leong YC. Trait anxiety is associated with idiosyncratic neural event boundaries during naturalistic movie-watching. bioRxiv. Preprint posted online June 22, 2026. doi:10.64898/2026.01.03.697513.

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
