初詣の境内は、人で身動きが取れません。
前へ進みたい。
けれど、足取りは自分の思いどおりになりません。
肩が隣に当たり、前の背中との隙間に、別の人がすっと入ってきます。
ライブ会場へ向かう駅前でも、同じです。
誰かに指示されたわけでもないのに、思い返すと、いつも似た抜け方をしている気がします。
混んだ場所では、自分で歩いているようでいて、人の流れに運ばれてもいるのです。
人混みには、形ができます。
混んだ通りで人が自然に列を作る。
狭い出口を、右側と左側から交互に抜けていく。
どれも、もとは一人ひとりの小さなよけ合いです。
誰も全体を指揮していないのに、流れに形が出てきます。
人が集まったときに生まれる動きも、その一つに見えます。
多くの礼儀正しい一歩が積み重なって、誰も意図しなかった形になる。
そう考えるのは、ごく自然です。
スペインと日本の研究チームも、はじめは一人ひとりの曲がり癖が、群れ全体の向きに出るだろうと考えました。
右へ折り返す癖の人が多ければ、群れも右回りに寄るはずです。
一人ずつ前もって折り返しの癖を調べ、円い囲いの中を自由に歩いてもらいます。
右へ曲がる人ばかりの群れも、左利き・左足利きばかりの群れも試します。
ところが、反時計回り、つまり左回りの動きは、どの場合でもほとんど同じだけ残りました。
壁も怪しく見えます。
円い囲いがあれば、人は縁に沿って歩きます。
壁ぎわでの身のかわし方だけで、流れができたのかもしれません。
けれども、壁を取り払っても結果は変わりませんでした。
スペインの学校では、50×60メートルの校庭に107人の中学生が集まり、ほぼ囲いのない場所を自由に歩きました。
ここでも、流れは左回りに寄りました。
壁だけでは、片づきません。
歩くときの習慣も疑われました。
日本では、すれ違うときに左へよける人が多く、欧州とは作法が逆です。
よけ合いが流れを作るなら、向きも変わるはずです。
それでも、日本で試しても左回りでした。
通行の作法がまだしみ込んでいない5歳前後の子どもが、音楽に合わせて走り回っても、流れは左でした。
円の中なら右回りに進む、と答えた人も少なくありません。
頭で思う向きと、実際の足取りは、同じではなかったのです。
群れを丸ごとなくした実験もあります。
200人を超える人が、一人ずつ、誰もいない床を60秒だけ歩きます。
一緒に歩く相手はいません。
合わせる歩幅もありません。
よける相手もいません。
合わせる相手がいなければ、向きはばらけるはずです。
ところが、左へ回りやすい人がはっきりと多く出ました。
一人歩きの記録を寄せ集めて仮の群れを作ると、群れで見た左回りの傾きがまた現れました。
群れの中で生まれたと思っていたものは、群れができる前から、一人の足取りの中にあったことになります。
では、その左回りは何から来るのでしょう。
体の特徴も調べられました。
利き手ではありません。
利き足でも、利き目でも、男女の違いでもありませんでした。
右目を隠して歩いても、その癖は消えません。
もとは、まだわかりきっていません。
確かめたのは健康な子どもや若者が中心で、強く混み合う場所や案内表示のある場所では、歩き方はまた変わります。
それでも、決まった道筋のない広い床は、待合室にも、広場にも、ふいに現れます。
次に当てもなく歩くことがあったら、自分のつま先がどちらへ向いていくのか。ほんの少し、気にしてもいいかも知れませんね。
参考文献:
Echeverría-Huarte, I., Feliciani, C., Shi, Z. et al. Individual locomotor bias drives counterclockwise motion in pedestrian crowds. Nat Commun 17, 4869 (2026). https://doi.org/10.1038/s41467-026-73713-w

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
