耳鳴りに悩む人は少なくありません。
キーン、ジーといった、実際には鳴っていないはずの音が耳の奥で鳴っている。
加齢や大きな音で耳の奥の細胞が傷むと、脳へ送られる信号が変わり、外に音がなくても本人にだけ聞こえる音が生まれます。
気のせいではありません。
耳から脳へ届く信号の変化や、脳の側での受け取り方が関わっています。
しかも近ごろは、耳鳴りの成り立ちには、耳だけでなく脳の働きも深く関わると考えられています。
だとすれば、鳴っている音を消すか、その耳を治すか、という考え方は行き止まりになりやすいのです。
耳鳴りという言葉を聞くと、私たちはどうにも手の打ちようがない気持ちになります。
もっとも、耳鳴りそのものを消す薬には、効くという確かな証拠がまだありません。
一方で、考え方や行動に働きかける方法(認知行動療法)には、苦痛を和らげる効果があると分かってきました。
ただ、それを扱える専門家は少なく、特に日本では受けられる場所が限られています。
そこで研究者たちは、その方法をスマートフォンのアプリに移し、自宅で使えるようにできないかを試しました。
研究者たちは、耳鳴りに悩む60人を半分に分けました。
一方には、認知行動療法の要素を組み込んだ治療用アプリを渡しました。
もう一方には、見た目や操作はよく似ているものの、症状を毎日書き留める記録機能だけを残したアプリを渡しました。
どちらのアプリも、おおむね同じように使われました。
16週間後、耳鳴りのつらさを0から100で測る尺度では、記録だけの群に大きな変化はありませんでした。
治療用アプリの群では、点数が平均でおよそ17下がり、2つの群の差は20を超えました。
耳鳴りのわずらわしさは軽くなり、音に振り回される感じも弱まり、不安や眠りにくさも和らいでいました。
記録するだけでは足りず、治療用アプリを使った人たちでは、日常の負担がまとまって軽くなっていたのです。
しかもこの差は、16週で治療機能を止め、8週間あとの測定まで保たれていました。
この研究が測っていたのは、音の大きさそのものではありません。
治療用アプリの群だけで変化が見られたとき、変わっていたのは音量ではなく、その音にどれだけ苦しむか、でした。
耳鳴りが気になると、こちらの注意はそこへ引っぱられ、そのまま見張りつづけるようになります。
脳がその音を警報のように扱うからです。
音のほうを見張る向きにいるあいだは、同じ音が大きく近く感じられます。
症状を書き留めるだけでは、その反応には届きにくい。
治療用アプリでは、耳鳴りそのものを消すのではなく、耳鳴りに注意が向き続ける反応をやわらげる練習が行われていました。
ただし、この試験で見えた範囲は限られます。
調べられたのは、耳鳴りと付き合うときのつらさが軽くなるかどうかでした。
難聴のない人や、もともとつらさの軽い人では、はっきりした差は出ませんでした。
60人、3施設の小さな探索的試験で、開発した企業の出資も入っています。
同じ結果が、もっと大きな試験でも出るかどうかは、今後さらに確認が必要です。
夜、台所で冷蔵庫が低く唸っている音が耳に入ります。
いったん気づいてしまうと、その音はかえって気になります。
ところが何かに手を動かしているあいだは、いつのまにかどこかへ行っている。
同じ音なのに、こちらの注意の向きしだいで近くにも遠くにもなります。
耳の奥に残る音についても、消すことだけが答えではないのかもしれません。
参考文献:
Wasano K, Kawasaki T, Goto F, et al. Mobile Application as a Digital Therapeutic for Chronic Tinnitus: A Randomized Clinical Trial. JAMA Otolaryngol Head Neck Surg. Published online May 07, 2026. doi:10.1001/jamaoto.2026.0858

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
