夏の終わり、木の幹にセミの抜け殻が残っていることがあります。
指でつまむと、軽くて、固くて、中はからっぽです。
私たちはそれを見て、虫の殻とは、いちど固まれば作り直せない、出来上がったきりの入れ物なのだと考えがちです。
爪や貝殻と同じ、命の通っていない部分のようにも思えます。
生きている虫にいまも付いている固い殻も、きっと同じなのだろう、と。
ドイツの研究者たちは、その思い込みを大人のバッタで確かめました。
最後の脱皮から21日、殻はすっかり固まり、もう全身を脱ぎ替えることはできません。
後脚の脛(すね)に入れられたのは、決まった深さの細い切れ目です。
殻の表面に浅く触れた刃と、殻を越えて、その下の生きた細胞の層まで届いた刃。
外からは小さな差に見える2つの傷に、その後の違いが出ました。
切り取った脚を空気中や、体液に近い液に20日置いても、切り口のまわりは濃くなりません。
殻の表面だけをひっかいた浅い傷でも、20日後に大きな色の変化はありませんでした。
刃が細胞の層まで届いた脚では、5日のうちに切り口のまわりが色濃くなります。
乾いた殻が勝手に変色したのではなく、生きた体の反応として、傷の縁が変わっていたのです。
外側が濃くなった切れ目の内側には、古い殻と細胞の層のあいだに、新しい材料がたまっていました。
浅い傷では、その材料は見つかりません。
深い傷では、こぶのような層が少しずつ厚くなります。
5日で全体のおよそ3分の1まで増え、15日ごろまでたまり続けました。
顕微鏡でよく見ると、そこにはのっぺりした詰め物ではなく、もとの殻に似た細かな層が重なっていました。
染め分けても、偏光で見ても、その材料はクチクラに近い性質を持っていました。
層が新しく作られたものなら、殻作りに関わる遺伝子にも変化があるはずです。
キチン合成酵素1という遺伝子は、若い時期にクチクラ、つまり昆虫の殻を作るときによく読み取られます。
21日たった成虫では低い水準にあるその読み取りが、深い傷の2日後を中心に高まっていました。
古い殻の変色だけでは、この遺伝子の変化までは説明しにくくなります。
菌から身を守るディフェンシン3に関わる遺伝子も、傷の8時間後から増えていました。
材料を足すことと、守ることは、同じ傷口の近くで重なっていました。
実験室の脚は、野原で負った傷そのものではありません。
切れ目は深さも長さもそろえられ、観察されたのは1種類のバッタの、限られた日数の変化です。
脚を元どおりに再生したわけでもありません。
見えたのは、傷の近くに限って新しい層を足す反応です。
野外の虫のすべてが同じ道筋をたどるとは言い切れません。
固いものは、そこで何かが終わった印に見えます。
固まった殻、乾いた表面、出来上がった輪郭。
けれどバッタの脛では、その固さの下に、体の作り方の一部が残っていました。
今度どこかで固い殻に触れるとき、その表面は終わりの線ではなく、まだ呼び出せる何かの上に置かれた薄い境目なのかもしれません。
参考文献:
Jonas J. Unterholzner, Jan-Henning Dirks; Wound-induced reactivation of developmental cuticle programmes in mature insects. R Soc Open Sci. 1 June 2026; 13 (6): 260534. https://doi.org/10.1098/rsos.260534

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
