コーヒーに垂らしたミルクは、白い筋を引いて広がり、やがて全体に溶けていきます。
元の一滴に戻ることはありません。
広い野原で名前を呼んでも、声は遠ざかって消え、返ってきません。
外へ出ていったものは薄まって失われる。
日々の暮らしで、私たちは何度もそれを見てきました。
出ていった先は、何でも呑み込んで返さない、底のない容れ物のように思えます。
物理学でも長らく、ものの「まわり」は、この底なしの容れ物に近いものとして扱われてきました。
対象から流れ出た情報や熱は、広大なまわりへ散ってただちに薄まり、もう戻らない。
煙が空へ消えていくのと同じです。
この一方通行を前提に置くと、計算は見通しよく進み、多くの場面をうまく説明できました。
散らかりは増える一方で、減ることはない。
この見方は、日々の経験ともよく合っています。
イタリアやドイツ、英国の研究者らが目を向けたのは、薄まる速さではありませんでした。
出ていった先がどれほど広く、どんな性質を持つかによって、戻るか戻らないかが変わるのではないか。
底なしに見えていた容れ物のほうへ、視線が移ります。
研究者らが数式の上に組み立てたのは、上と下の2つの状態を持つ、量子の小さな対象です。
これを、音が反響する小さな部屋にあたる振動子と、熱が散っていく広い外側に触れさせ、さらに外からごく弱く動かしながら、その移り変わりを計算で追います。
最初は別物だった2つの状態が、時間とともにどれだけ似たものになっていくか。
散らかりの度合いが、どの向きへ進むか。
小さな対象を見ているだけでは消えたように見えるものを、外側とのやり取りまで含めてたどっていきます。
別物だった2つの状態は、予想どおり、いったんよく似たものになります。
ところが、そこで終わりません。
縮んだはずの差が、ある時間でまた大きくなります。
似ては離れ、また似ては離れる。
出ていった分だけ薄まるはずが、薄まりきりません。
散らかりの目盛りにも異変が出ます。
増える一方のはずの目盛りが、ときどき逆向きに振れます。
計算の上では、いったん部屋へ出ていったものが、こだまのように、その対象へ返ってきます。
小さな部屋では、出ていったものが薄まりきらず、痕跡が残ります。
部屋とのつながりを弱めていくと、この返りは細り、つながりがゼロになるところで、もとの一方通行の忘却へ戻ります。
2つの状態の差がまた大きくなる動きも、散らかりの逆向きの振れも、つながりを細らせるにつれて、そろって消えていきます。
返りが見えるのは、まわりが小さく、その対象とのつながりを保つ限られた場合にとどまり、逆向きの振れもごく短いあいだのことです。
第二法則がくつがえったのではなく、まわりを何も返さない空白として扱えない、ということです。
コーヒーのミルクは、やはり元には戻りません。
広い野原の声も返ってきません。
けれど、小さな部屋で名前を呼べば、声は壁を伝って自分のところへ返ってきます。
返ってくるかどうかを分けていたのは、声を出したかどうかではなく、その声が出ていく場所の広さと、そこにつながりが残っているかどうかでした。
いつか、どこかで何かが返ってきたとき、その容れ物の大きさのほうへ、目がいくかもしれません。
参考文献:
Banigi BG, Lutz E, Paternostro M. Non-equilibrium quantum thermodynamics of a memory-bearing open-system process. arXiv. Preprint posted online June 4, 2026. arXiv:2606.05904

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
