一日の終わりに、考えがうまくまとまらなくなることがあります。
メールの文面が浮かばない。
計算を二度間違える。
こういう夜は、頭がぜんぶくたびれているのだと思いがちです。
それでも、手のひらに伝わるカップの温かさははっきり感じられますし、外の物音もちゃんと聞こえています。
脳は、体重のおよそ2%しかない器官です。
ところが、体が使うエネルギーの20〜24%を、この小さな器官だけで消費します。
そのエネルギーを、細胞の中で使いやすい形に変えているのがミトコンドリアです。
食べたものと酸素から、神経が働くためのエネルギーを取り出し続けています。
脳は、つねに高い電気代を払いながら動いている器官だと言えます。
では、細胞のエネルギーづくりに生まれつき不具合がある人では、脳の働きはどうなるのでしょうか。
アメリカの研究チームは、ミトコンドリアに遺伝的な不具合を持つ患者40人と、健康な人70人を比べました。
素朴に考えれば、燃料が足りないのだから、脳の働きは全体としてまんべんなく落ちそうです。
チームは、性質の異なる3つの課題を用意しました。
点滅する市松模様と音を受け取る感覚の課題。
腕に冷たいものを当てて痛みを感じる課題。
そして、少し前に見たものを覚えておき、今見ているものと比べる作業記憶の課題です。
はじめの2つは比較的基本的な反応を見る課題で、最後の1つは、情報を短いあいだ保って判断する、負荷の高い課題です。
患者さん全体と健康な人全体を比べると、3つの課題のどれでも、脳の反応に大きな差は見られませんでした。
病気だからといって、脳全体の働きがまとめて弱るわけではなさそうです。
ところが、患者さんを病気の重さに沿って見ていくと、作業記憶の場面で違いが濃くなります。
重い人ほど、作業記憶に関わる脳の反応も課題の成績も低く、逆に、軽くて成績が保たれている人では、同じ課題のあいだ、健康な人より反応が高めでした。
血液中のGDF15という、細胞やミトコンドリアに負荷がかかると上がりやすい物質にも、同じ傾向があります。
この値が高い人ほど、作業記憶の課題中の脳の反応と成績が低くなる傾向がありました。
脳の反応との関係は、患者さんだけでなく健康な人のあいだにも見られました。
成績との関係も、全体では同じ方向にありました。
さらにGDF15は、歳を重ねるほど上がりやすい物質でもあります。
まれな遺伝病の患者さん。
誰の血にもあるGDF15。
その値を押し上げていく加齢。
出どころは違っていても、差が表れやすいのは作業記憶のほうでした。
使えるエネルギーが限られると、生きるために近い感覚や痛みの反応は比較的保たれ、いちばん負荷の高い「考える」働きのほうに先に差が出る。
少なくとも、この研究からはそう読めます。
これは相関の観察で、原因と結果まで言い切れるものではありません。
それでも、鈍ったのではなく、限られたエネルギーの中で、保たれやすい働きと、先に細る働きが分かれてくる、と見るほうが事実に合います。
一日の終わり、考えがもつれて言葉が出てこない夜。
先に苦しくなっているのは、その「考える」働きのほうかもしれません。
カップの温かさも、外の物音も、変わらずそこにあります。
頭が働かない夜にこそ、その温かさは、いつもどおり手のひらに残っています。
参考文献:
Bo K, Kelly C, Trumpff C, et al. Mitochondrial Energy Transformation Capacity Influences Brain Activation During Sensory, Affective, and Cognitive Tasks. Preprint. bioRxiv. 2025;2025.06.25.661482. Published 2025 Aug 4. doi:10.1101/2025.06.25.661482

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
