お中元やお歳暮、結婚や葬儀の席で交わされる贈り物は、たいてい温かさや好意の証として受け取られます。
お金のやり取りとは違い、そこに損得勘定はない。
贈与は人と人を対等に結ぶもので、序列や格差とは縁が薄い。
多くの人がそう感じています。
ところが人類学者は、贈り物のもう一つの側面を早くから書き記してきました。
多くの伝統社会では、贈り物を通じて、地位の差が生まれます。
大きな贈り物を公の場で渡した側は名誉を得て、受け取った側は一定期間内により大きな返礼をする義務を負う。
返せなければ、あるいは遅れれば、立場が下がる。
北米のポトラッチや、ニューギニアのモカ交換にその姿が見られます。
文献には、「贈り物で人を奴隷にする」という言い回しさえ残っています。
贈与は善意か計算か。
この問いには、おそらく答えが出ません。
東京大学の研究チームは、問いの向きを少し変えました。
同じ贈り物のやり取りでも、どれくらい大きく、どれくらい頻繁になると、対等な関係が上下関係に変わるのか。
研究チームは、できるだけ単純なモデルを組みます。
100人が互いに贈り合う。
それぞれが持っているものをすべて誰かに贈り、受け取った人は、あとで少し多めに返す。
返礼の利子率を r、一生のうちに贈りに加わる回数を l と置く。
お返しが間に合わない人は負債を抱え、返し終えるまで新しい贈り物を出せない。
この仕組みのまま、r と l を掛けた量だけを少しずつ変えていくと、現れる社会の形が入れ替わります。
積が小さいうちは、贈っても等しく返り、関係は対等な輪のまま保たれる。
この状態を、論文では「バンド」と呼びます。
名前だけ見ると歴史の分類のようですが、ここでは、富と名誉の偏り方の違いとして見ておけば十分です。
この量が大きくなると、富の差はあるが名誉の差はない「部族」。
次に、富も名誉も偏る「首長制」。
さらに上げると、ほとんどが横並びのなかで1人だけ突出した「王」の立つ「王国」。
どこで形が変わるかは、r と l を足した値ではなく、掛け合わせた1つの量でほぼ決まりました。
なぜ足し合わせではなく、掛け合わせなのか。
r と l の積は、一生のあいだに利子を何度受け取るかにあたります。
頻度と利子は、別々の要因ではなく、1つの量として効くのです。
富のほうは、利子つきの返礼が重なるところから偏り始めます。
名誉のほうは、返しきれずに負債を抱えた人が、名誉を得る機会を失うところから偏り始める。
来た道は別なのに、富がやや先に、名誉が少し遅れて、どちらも同じ目盛りの先で大きくなる。
モデルを回して数えた結果も、紙の上で解いた式も、同じ目盛りに形の変わり目がありました。
ただし、これは思いきり単純にしたモデルです。
全員が必ず贈り、必ず返そうとする。
贈り物を断るという、現実にはよくある選択は省かれている。
だから現実の社会は、この骨組みそのものではなく、骨組みからのずれとして見たほうがよい。
論文でも、その点には注意を促しています。
それでも、次にお祝いやお返しの金額をいくらにしようかと迷うとき、その迷いの底に、頻度と利子という2つの目盛りが薄く引かれていることに気づくかもしれません。
同じ贈り物が、ある目盛りの先では輪をつくり、別の目盛りの先では段差をつくる。
手元の品物は、いま、どちらの目盛りの上に置かれているのでしょうか。
参考文献:
Itao K, Kaneko K. Emergence of economic and social disparities through competitive gift-giving. PLOS Complex Syst. 2024;1(1):e0000001. doi:10.1371/journal.pcsy.0000001

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
