シャワーを浴びているとき、散歩をしているとき、庭の草をむしっているとき。
机の前では出てこなかった答えが、不意に形を取り始めることがあります。
こうした経験から、多くの人は一つの考えを信じてきました。
単調で退屈な時間ほど、頭は自由になる。
2012年の研究は、その感覚を後押ししました。
頭をあまり使わない単純作業のあとには、負荷の高い課題や休息のあとより、創造性課題の成績が伸びたのです。
そこから、「退屈は創造の母だ」という理解が広がりました。
ただ、それはいつも再現されるものではありませんでした。
追試では効果が出ることもあれば、出ないこともありました。
ザカリー・アーヴィングらが疑ったのは二点です。
従来の研究が見ていたのは、マインドワンダリング(心が話題から話題へ自発的に移ること)ではなく、単なる注意散漫だったのではないか。
さらに、数字を見て特定の数字だけ反応を止めるような課題は、入浴や散歩のような日常の場面から遠すぎたのではないか。
そこで研究チームは、発想が生まれる時間を、もっと生活に近い形で確かめ直しました。
参加者はまず、レンガまたはクリップの「普通とは違う使い道」をできるだけ多く考えてもらいます。
そのあと二つのグループに分かれ、一方は男性二人が洗濯物をたたむだけの三分間の「退屈な動画」、もう一方は映画『恋人たちの予感』のレストラン場面という、「適度に面白い動画」を見ました。
視聴後、参加者はもう一度アイデア出しを行い、動画中にどれほど心が別のことへ移っていたかも答えました。
適度に面白い動画を見たグループでは、マインドワンダリングの度合いが高い人ほど、アイデアの数が多くなりました。
心のさまよいと創造性のあいだに、正の相関が確認されたのです。
一方、退屈な動画を見たグループでは、この相関が現れませんでした。
心がさまよっていても、アイデアの量は増えなかったのです。
ここで崩れるのは「退屈が創造性を生む」という前提そのものです。
何も起きていない空白の時間に心が解放されるのではなく、適度に意識を引きつける刺激があるときにだけ、思考は水面下で問題を回し続けていました。
退屈は、心を自由にするのではなく、ただ空転させていた可能性があります。
私たちの認知は、完全な暇を与えられると行き先を見失い、ほどよく手を塞がれているときにこそ、残りの回路で別の仕事を進めているようです。
もちろん、この実験は三分間の動画視聴という限られた条件で行われ、シャワーや散歩そのものを直接調べたわけではありません。
心の遊走も自己報告で測られています。
それでも、実験室向けの数字課題から離れ、日常に寄せた状況で問いを組み直した点には意味があります。
研究チームは今後、仮想現実を用いて、街を歩くようなもっと自然な状況で検証を進める予定です。
シャワー中のひらめきを支えていたのは、何もしていない時間ではなく、泡立てる、すすぐ、手を動かすといった、少しだけ手元を使う時間だったのかもしれません。
発想に必要なのは、ただの空白ではなく、考えが離れすぎず、とどまりすぎもしない、その中間にある時間なのだと思えてきます。
参考文献:
Zachary C. Irving et al, The shower effect: Mind wandering facilitates creative incubation during moderately engaging activities., Psychology of Aesthetics, Creativity, and the Arts (2022). DOI: 10.1037/aca0000516

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
