宇宙では、地上とは違う粒子が届きます。
地球の磁場と大気に守られていた場所を離れると、電離放射線は人の体の細胞を通り抜けます。
がんの原因になりうることはよく知られていますし、心臓や血管にも影響する可能性が語られてきました。
宇宙放射線は、がんと心血管疾患の両方を押し上げるはずだ。
そう考えるのは自然です。
ところが、これまでの追跡では、その直感に決定打がありませんでした。
飛行士たちのあいだで、がんや心血管疾患の超過死亡がはっきり確認されたわけではない。
それでも人数が少ないため、差がないと断じるだけの根拠も足りない。
危険だと言い切るには証拠が薄く、安全だと言い切るには観察が足りない。
Reynoldsらは、この行き詰まりを正面から押し切りませんでした。
放射線が本当に、がんと心血管疾患の両方に強く関わる共通原因なら、二つの死因はきれいに切り分けられないはずだと考えたのです。
そこで、ある死因だけを追う標準的な生存曲線(カプラン・マイヤー法)と、ほかの死因との競合も織り込んだ生存曲線を比べました。
本当に同じ原因が強く働いているなら、二つの線には無視しにくいずれが残る。
ずれが小さければ、少なくとも強い共通原因だったとは言いにくい。
対象は、1959年以降に宇宙飛行を経験した米国宇宙飛行士301名と、1961年以降のソ連・ロシア宇宙飛行士117名です。追跡は最長でほぼ55年に及びました。
国の違う二つの集団を、性質の違う二つの手法で見比べても、大きな歪みは現れませんでした。
米国側では、生存曲線の下面積の差はどの死因でも2%未満でした。
ソ連・ロシア側では心血管疾患で最大4.2%の差が出ましたが、それでも研究者たちは、強い干渉の証拠とは見なしませんでした。
追跡の終盤ではデータが薄く、少数の死亡で線が大きく動くからです。
ここから見えてくるのは、少なくともこれまでの宇宙飛行で受けた線量の範囲では、放射線ががんと心血管疾患を同時に強く押し上げ、死因の地図全体を塗り替えていたとは言いにくいということです。
米国側53人、ソ連・ロシア側36人、合わせて89人の死亡しかなく、検出力の限界は残ります。
それでも、別々の国の集団を別々の方法でたどって、だいたい同じ輪郭に戻ってきた点は軽くありません。
この研究が残したものは、宇宙放射線は危険か、という直線的な問いそのものより、危険をどう見抜くかという考え方かもしれません。
見えない脅威を前にすると、私たちは原因を一つの大きな物語にまとめたくなります。
そのほうが理解しやすく、備えやすいからです。
けれど現実の地図は、ときにその物語ほど劇的には歪みません。
大きな危険があるという直感と、実際に確認できる変化の大きさは、同じ速さでは動かないようです。
もちろん、これは過去の飛行についての話です。
これまでの追跡で大きな偏りが見えなかったからといって、これからも同じとは限りません。
参考文献:
Reynolds, R.J., Bukhtiyarov, I.V., Tikhonova, G.I. et al. Contrapositive logic suggests space radiation not having a strong impact on mortality of US astronauts and Soviet and Russian cosmonauts. Sci Rep 9, 8583 (2019). https://doi.org/10.1038/s41598-019-44858-0

紹介した論文の音声概要を、NotebookLMでポッドキャスト化してみました。あわせてお楽しみください。
