長時間透析の勉強会

昨日の投稿にも書きましたが、昨夜は吉クリニックさんとの長時間透析勉強会がありました。

2つのクリニックの合同勉強会です。

吉先生の「長期の合併症で痛がる患者さんを見て、とにかく出来る時に良い透析をしたいと思った。」という言葉は医療者の共通の想いです。

吉先生と話をすると「患者のため」というフレーズが何度も繰り返されました。

スマートだけれども熱い先生なんですね。

 

後半には「透析Q&A」のコーナーを設けて、いろいろと質問にも答えてもらいました。

これをきっかけに2つのクリニックがいろいろと交流できたらと思います。

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写真で佐久田と吉先生が持っている赤と白のスポンジは「3 pool model」の実演のために使った小道具。

やっぱり、昨日もやってしまいました(笑)

小道具を使った実験コーナー。

 

 

 

 

吉クリニックさんとの合同勉強会

 

 

沖縄で長時間透析と言えば、まず南風原町にある吉クリニックさんが筆頭にあがります。

吉クリニックホームページ

 

長時間透析に関する学会&研究発表だけでも以下のようにあります。(吉クリニックホームページから)

  • 週3回、6時間透析を開始した4症例の報告(第29回沖縄県人工透析研究会)
  • 5時間透析から6時間透析へ移行後の体調の変化と文献的考案(第29回沖縄県人工透析研究会)
  • 当院における長時間透析の試み(第56回日本透析医学会)

 

長時間透析をはじめオンラインHDFなど積極的に取り組まれていて

私たちクリニックがやりたいことを既に実践し、実績のある「先輩クリニック」として、尊敬しています。

 

私の以前からの希望もあって、吉クリニックさんとの合同勉強会が実現することになりました。

実はそれが今日なのです。

これから良い交流ができて、良い刺激を受けるのだと思うとワクワクしてきます。

 

長時間透析勉強会

 

 

 

 

 

ギリシャ神話から 「王様の耳はロバの耳」の王様 ミダス

 

今回はギリシャ神話ネタです。

誰もが良く知っている「王様の耳はロバの耳」

この話はイソップ物語で有名ですが、元ネタはギリシャ神話からきています。

 

主人公はフリュギア王国のミダス王。

あるとき、牧神パンの葦笛とアポロンの竪琴の腕比べが行われました。

アポロンは音楽を司る神です。神が腕比べをするというのもどうかと思うのですが…。

その時、ミダス王はその審判のうちのひとりを買って出ました。

 

誰の耳にも勝負は明らかでした。アポロンの演奏が始まると、その瞬間から皆がうっとりと恍惚感に浸っているのです。

他の審判はもちろん、すべての観客が皆アポロンの美しい音楽に軍配を上げたというのに

個人的に牧神パンが大好きという理由だけで、ミダス王はひとりパンに一票を投じたのでした。

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アポロンは激怒しました。

「音楽の良さがわからないようなお前には人間の耳は不要だ。ロバの耳になってしまえ!」

その途端にミダス王の耳は長く伸びてロバの耳になってしまいました。

 

これを恥じた王は、それ以降大きな帽子を目深にかぶり耳を隠して誰にも見せないようにしていました。

ところが、この事実を知った人間がひとりだけいました。

ミダス王の調髪係をしていた召使です。

「良いか。絶対に秘密は漏らさぬように。話せば命はないものと思え!」

王の絶対的な命令として、破れば恐ろしい罰が待っていると警告したのでした。

 

召使は必死に秘密を守ります。

けれども、それにも限界がありました。毎日もだえ苦しんだあげく、とうとう牧草地に走り、地面に穴を掘りました。

そしてその穴に向かって囁きました。

「王様の耳はロバの耳!」

召使は土をかぶせて穴を埋め、その場を去りました。

ところが穴の跡には葦が生え、風が吹くたびに囁きが響きはじめたといいます。

「王様の耳はロバの耳!」

 

ミダス王の愚かさを象徴するお話なのですが、ほかにも、もうひとつあって

酒の神ディオニソス(バッカス)との絡みで知られる「黄金編」もあるんですね。

 

これはまた次の機会に。

 

 

捕捉:

そういえば小学校低学年の時に、お話大会の題材をこの物語にしたのを思い出しました。

劇団四季のミュージカルの影響だったと思います。

 

 

ヒジルーにもわかること

 

アメリカABCテレビのプロデューサー兼脚本家アン・ペトリと妹のジャネットが、実際にマザー・テレサとともに働きながら、取材・撮影をした意欲作と紹介されています。

 

マザー・テレサ ~母なることの由来~(DVD)

 

マザー・テレサの動きや表情を追っていくうちに、いつの間にか励まされている自分に気づきます。

なぜなのでしょう?

ぶれがなく、一貫しているから?

 

最初のチャプターで彼女自身のナレーションであの言葉が響きます。

 

Love has to be put into aciton.

「実践してこそ、愛です。」

 

実際には言葉を語っても、現実ではそうでないことがありますね。

「愛は行いである。」

 

幼い頃から「情けが薄い」とか「ヒジルー(薄情)」とか言われて続けている私が言うのもなんですが(笑)

行動を起こさなければ、何も始まらない。

何を言っても通用しない。

よく動く手と足が欲しいです。

 

 

 

 

沖腎協 「透析患者学習会」 

 
昨日は沖腎協の患者学習会で講師としてお話させてもらいました。

良いといわれる透析、しっかり透析をすることについてのお話です。

 

中部病院時代にお世話になった患者さんとか、懐かしい顔もたくさん見えていて

個人的にも大変嬉しい会になりました。

それぞれに皆さんがお元気でいるということが、何より嬉しいですね。

 

講演の方は伝えたいことがたくさんありすぎて

ちょっと早口にまくしたててしまったかなと反省しています。

 

もう少しテーマを絞ったほうが良かったかなと思ったのと、

時間がないのなら、最初のマジックは必要なかったかも?と思いました(笑)。

(そうです。マジックしてしまったんです。)

もしこれに懲りずにお招きいただけるなら、修正、改善して臨みたいと思います。

 

そうそう。小道具も使いました。

single pool Kt/V の説明と、長時間がなぜ良いのかについての説明を

視覚的にぜひ印象付けてもらいたいと思って準備したものです。

 

独りよがりの説明になったかも知れないと思って

これも 「???」 でした(笑)

小道具を使うことは私の趣味みたいなものですから、お許しください。

 

講演で紹介した「維持血液透析ガイドライン:血液透析処方」

透析医学会のリンクを貼っておきますね。

こちら です。

 

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十牛図

 

 

禅の教えに「十牛図」というものがあります。

特に禅に詳しいわけではないのですが、どの分野であれ、こういう「絵に表したもの」は興味深く関心があります。

 

この図は「真の自分」に目覚めるまでの道筋を10枚の絵で表したもので、分かりやすい反面、奥深く示唆的です。

下の図はWikipediaから引用したものです。

中国宋代の禅僧、廓庵(かくあん)によるものだということです。

本来の自分を牛になぞらえており、童子は修行者本人を表しています。

図の説明は哲学者 梅原毅氏の解説を載せますね。

 

①尋牛(じんぎゅう)

01

心が荒れている。あばれ牛の如くに。かつて私は一匹の牛を家のあたりにつないでいた。

しかし、いつの間にか牛は手綱を断ち切って暴れだし、私に血みどろな傷を負わせて遠い山に去ってしまった。

荒れ狂っている牛のほえる声が私を不安にする。

牛は猛り狂って田畑を荒らし、はては深い谷間に落ち込んで見事な頓死を遂げるかもしれない。

私は疲れた心と、傷ついた身体に鞭打って牛を探しに出かけるのだ。

 

解説:失った牛を探す場面。本来の自己が内にあることをまだ知らずに、探しに出るところである。

 

②見跡(けんせき・けんじゃく)

02

牛はなかなか見つからない。

私は日一日、果てしない野原を歩き回ったけれど、どこにも牛は見当たらなかった。

そしてまた高い断崖絶壁をよじ登ったけれど、私の見たのは、一面に荒れ果てた岩山ばかりであった。

しかし、ある秋の夕、深い夜の闇が天地を覆うとする一瞬前、私は森の入り口で、牛の足跡を見つけたのだ。

 

解説:牛の足跡つまり手がかりを見つけるが、足跡を見てもそれは知識として牛の存在を知ったことにしかならない。

 

③見牛(けんぎゅう)

03

すばやく、そして用心深くその足跡を私はつけて進んだ。

そして私は正しく見た。一匹の荒れ狂っている牛の姿を。

牛は怒りにもえ、私を見て襲いかかってきたけれど、隠すことのできない疲労のようなものが牛の体にただよっていることを、一瞬私は見逃さなかった。

 

解説:牛の声を聞いて後ろ姿を見る。しかし、まだ牛のすべてを見たわけではない。

 

④得牛(とくぎゅう)

04

今だ、私は祈りを込めて縄を投げた。

わが心よ獣の眠りを眠れかし。

縄は見事に命中して、牛の首に巻きついた。

牛は吠え叫び、逃げようとして暴れまわったけれど、私は牛の首に巻きついた縄を金輪際離そうとしなかった。

やがて牛は精魂尽きたかのように、どっと倒れて、死んだように動かなくなってしまったが、私もまた死せる牛のように疲れていた。

 

解説:ついに牛をみつけて手綱をつけるが、嫌がる牛を引き付けようとする状態。

 

⑤牧牛(ぼくぎゅう・ぼくご)

05

手綱をひいて私は家に帰ろうとした。

私はいささか得意になって、牛に言った。

「暴れ牛よ。お前がどんなに暴れても、結局、おれにはかないはしまい。」

牛は私のそういう言葉に反抗するかのように時々、暴れだそうとした。

しかし、その度ごとに、私は手綱をきつく引いて私の優越感を確かめた。

 

解説:荒れる牛を馴らして連れて帰るところ。手綱を張りつめた様子はない。ここではじめて、牛の顔が描かれる。

 

⑥騎牛帰家(きぎゅうきか)

06

山を越え、野を越え、牛と私は村里の近くにきた。

今まで雲に覆われた月も、そのまろやかな姿を雲の間から見せ始めた。

牛はおとなしくなり、私は牛の背の上で心も軽く、歌を歌ったのである。

楽しきかな人生である。

 

解説:牛に乗り笛を吹きながら家に帰る。牛の表情は明るく足取りも軽い。牛と童子は一体である。

 

⑦忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)

07

家に帰って、私は牛をつなごうとすると、ふっと牛は私の手から消えたのである。

牛は確かに今しがた私の前にあったはずなのに、忽然として牛は失せた。

巨大な牛が見る見るうちに気化し、ひとつの映像のようになって、すっぽりとわたしの心の中にすいこまれるように消え失せたのである。

それは一瞬の幻想のようでもあった。

あたりに無限の静けさが漂い、私は冷たい月光に照らされて、独り己の心を見入ったのである。

 

解説:家に帰って牛のことを忘れ、牛もどこかへ行ってしまう。牛を忘れ去る、つまり悟ったという気持ち自体を忘れた境地である。

 

⑧人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)

08

また、不可思議なことが起こった。

心をじっと見入っているうちに、私自身が消失してしまったのである。

私と私を取り巻く世界もすっかり消え果て、世界は白い霧のようなものに変化してしまった。

私もまた白い霧のようであり、私が世界であり、世界が私でもあった。

透明で、清潔な完全な真空の世界で私の心も真空な満足に酔っていた。

 

解説:牛も人も忘れ去られている。迷いも悟りも超越した時、そこには絶対的な空がある。

 

⑨返本還源(へんぽんげんげん)

09

しかし再び、あの真空の世界に草が生え、花が咲き、鳥は歌い、春が来るのである。

すべてはもとのままのようであり、生は、希望の歌を高らかに歌い始めているではないか。

柳の緑の鮮やかさ、紅の花の美しさ、世界は改めて無限に豊かな色に輝きわたっているではないか。

 

解説:ここには童子も牛も描かれていない。悟る前と同じく水は流れ花は美しく咲き誇る。

 

⑩入鄽垂手(にってんすいしゅ)

10

このように再び、本に還り、万物が豊かな色を示す世界に、私は何事も起らなかったかの如く帰ってゆく。

脚を現し、腹をむきだし、一見愚者の如くに、町にさすらい歩き、物にあえば物に親しみ、人に会えば人と笑い、見知らぬ人の間で、慈悲を世界にふりまいて生きている。

 

解説:童子が対面しているのは、悟りを得た老人である。悟りを得たものは、広くそれを伝えなければならないことをあらわしている。しかし、老人と語る童子の姿は、最初の見跡の図に見える姿と同じである。

 

 

プラセンタ 「ラエンネック」の説明書

 

関心のある方々からの問い合わせが、時々ありますので、クリニックで使用している説明書を載せたいと思います。

説明文の太字の部分

「輸血やラエンネックを含めヒト組織や血液を原料とした製品を1回でも使用した方は、献血ができなくなります。」

以前に投与されたことがある方でも、献血ができなくなるということを初めて聞いてびっくりされる方がいます。

 

十分に理解し同意していただいた方に投与する薬剤ですので、よろしくお願いいたします。

 

ラエンネックの説明書

 

「車輪の下」

 

実家に帰ったついでに、部屋の本棚から持ち出してきました。

小学校の図書館の書架には、写真のようなポプラ社のジュニア文学名作選アイドルブックスシリーズの緑色の背表紙がずらっと並んでいた気がします。

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ヘルマン・ヘッセの小説は、なぜか子どもながらに心惹かれ、ヘッセの「半自伝的小説」にどっぷりと感情移入しながら読んでいました。

「車輪の下」はエンディングも自滅的ですし救われるものも誰ひとりとしていないような、ヘッセのあまりにも有名な作品です。

小学生(6年生?)の私はこの小説が好きでした。

悲劇なのでしょうが、古い自分を葬り去るという形を取らざるを得なかった作者に共感していたのかも知れません。

なぜこの結末なんだ?

ずっと考え込んでいたのを覚えています。

 

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体験して思ったこと

 

長時間透析を実際にしてみて思ったこと。

少々、格言めいた表現でお恥ずかしいのですが、備忘録代わりに書き置いておきます。

 

「良いことをたくさん寄せ集めても良い結果を生むわけではない。」

Online HDFや高性能のダイアライザー、透析液、長時間透析…。

良いものとされているものはいろいろあります。

けれども、「あれもこれも良いもの」をくっつけた結果、かえって悪いことになっているぞというのはよく聞くお話です。

その人が本当に解決したいと思っている困っていることや治療目標を見失っているからです。

やはり、パーソン・センタード・ケアこそが貫くべき基本姿勢ですし、どんな時でも目的を見失ってはいけませんね。

 

「やってみないとわからないと言われていることは、実は想像すらできていない。」

8時間透析を経験してみて思ったことです。

今まで実際にやられている方達にお話を伺って、いろいろと質問もしてきました。

「経験してみたらわかりますよ。」

どの方からもそういう答えが返ってきました。

今なら思います。なんて浅い質問をしてきたことでしょう。

例えば、美味と言われている食べものをあれこれ想像をめぐらしてみても、実際に食べてみないと味はわからないというのと同じです。

ふとアインシュタインの言葉を思い出しました。

「何かを学ぶためには、自分で体験する以上に良い方法はない」

 

「どんな正しい方法でもそれにとらわれた瞬間から誤りの道を歩んでいる。」

これは自戒をこめて。

とらわれやこだわりで徹底して行えば、逆になります。

 

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実験の小道具

 

講演会に向けての準備をしています。(週末ですから、すでに準備が遅いんですけど。)

 

私のプレゼンの理想は「ためしてガッテン」

一般の方々にわかりやすく説明する、あの手法を真似したい!

ということで、小道具を作成中です。

 

昨日、100円ショップで購入してきた品物を手に、ああでもないこうでもないと試行錯誤です。

実際にやってみると予想外の結果が出たり、「やってみないとわからない」っていうのは本当だと思いました。

 

小道具を使ったプレゼン・テーマは「透析に時間をかける意味について」

身近なもので視覚的に納得してもらおうという試みです。

 

「理屈ではわかるよ。」と言う人も、実際に目にしたら違ってくるのではないかという期待をこめて。

(プレゼン次第って言われればそれまでなんですけど(笑))

 

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