童話には、そこに込められたメッセージがありますね。
時には人々を導く教訓だったり、戒めだったりします。
古典といわれている童話の、そのメッセージの伝え方は、よりシンプルでストレートなものが多いですね。
例えば、主人公の「浅はかさ」を戒めるお話などは、古今東西に多く見られる気がします。
ハンス・クリスティアン・アンデルセンの「ひこうかばん」などはその典型でしょう。
全文は青空文庫で読むことができます。 こちら → 「ひこうかばん」
ここでは、あらすじをご紹介します。
裕福な家庭に生まれた息子がいました。
この息子は大金持ちの親が死んだことで莫大な遺産を手にすることとなりましたが、働くこともなく、手にした大金で好き放題散財する日々をおくりました。
こうした生活を続けたことで結局持っていたお金はほとんどなくなってしまいます。
お金がなくなると、友人もまわりからいなくなり、どうしたものかと考えているとき、1人だけ息子に声をかけてくれた親切な友人がいました。
息子はその友人からカバンをもらいました。
しかし、カバンに入れるものをなにも持っていなかった息子は、しかたなく自分がそのなかに入ることにしました。
すると、不思議なことにカバンは空に舞い上がったのです。
息子はカバンに乗ってトルコまで飛んで行きました。
トルコでは、予言によりお城から出られない姫がいることを知り、息子はカバンに乗って姫の部屋まで行くことにしました。
姫の部屋にたどりついた息子は、姫と意気投合し、息子は姫の親(王)に紹介されることになりました。
そして、姫の親と会った目に息子が面白い話しをしたことで、王と后は息子を気に入り姫との結婚を許されたのです。
結婚式の前日に、息子はカバンに乗ってトルコの街中の夜空に花火を鳴らしました。
この出来事を人々は驚きと喜びで受け入れ、姫の婿になる息子を歓迎しました。
その夜、息子は町に出るためにカバンを森に置いておくことにしました。
ところが、町から息子が森に戻ると、のこった花火の火がついてしまいカバンがまる焼けになって灰になってしまっていたのです。
息子はもう空を飛ぶことができないためお城にも行けなくなってしまいました。
そんなことを知らない姫は、いつまでも息子がカバンに乗ってやって来るのを待ち続けているのでした。
裕福な息子は、持っていたお金が底をついた時、「なぜそうなったのか」ということを反省するヒマを与えられずに救いの手が差し伸べられてしまいます。
なぜかその窮地を友だちが「ひこうかばん」を贈って救ってくれるのです。
息子は思いつきのままに行動し、それは一見派手で万人受けします。入れるものがないからと、自分をかばんに入れる…なんて、息子だから思いついたことだとも言えます。
かばんに入らなければ、このかばんの機能は埋もれたままだったでしょうから。
けれども、アンデルセンは、それを良しとはしませんでした。
「そうそう与えられたラッキーで、幸せが続くものではない。」
「チャンスをものにしたければ、思慮深くなければならない。」
この童話に込められたメッセージはいろいろあるのでしょうが、私はこの息子のパフォーマンスは好きかも知れません。
「ばかだなあ」と思いながら、どこか共感してしまっている自分を発見します。