「落穂拾い」

私のノートパソコンの壁紙は、ミレーの「落穂拾い」にしています。先代のノートはIBMのThinkPadだったのですが、その時も「落穂拾い」にしていました。

理由は特にありませんが、なぜだかしっくりくるのです。

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ウィキペディアには「落穂拾い」についてこんな解説が載っています。

「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。…これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」(レビ記19章9節から10節)

「畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。」(レビ記23章22節)

「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。」(申命記24章19節)

 

ミレーの「落穂拾い」も「ルツ記」からの主題をとっているんですね。

実は「落穂拾い」を題材にした絵画はミレー作のものだけでないというのを最近知りました。

テーマが聖書にありますから、当然といえば当然のことです。

下がニコラ・プッサン作です。この作品の方が聖書に忠実なのかも知れません。

ニコラ・プッサン落穂拾い

 

 

捨てるもの

私たち医療者の原点はヒューマニズムです。

これはとてもシンプルな出発点です。

ですから、人々が悲しんだり辛そうにすることを見るのは本意ではありません。

 

できたら、どんな人でも笑顔でいてほしい。当たり前のことです。

けれども、同時に、医療者は安全を確保する責任があります。

安全は、通常は何よりも最優先されることです。

日頃からコミュニケーションが大切なのは、安全を第一にしているからです。

 

「あらゆる事態は複雑な関わりに結ばれて思い通りにはならない」

最善をもたらすために、捨てなければならないものがあります。

 

「まだまだ大丈夫」だと問題を先送りにすることは、侮りであり怠惰だと思います。

誠実さであることは、時に辛い選択をしなければならない時があります。

 

「胸さわぎ」が現実なものとなって後悔しては遅いのです。

 

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ハートの形

Stingの Shape Of My Heart はメロディもそうですが、歌詞の内容が哲学的で素晴らしい名曲です。

ギャンブラーの心情をトランプのスートに乗せて、歌っています。

 

和訳を Lady Satin’s English Project のホームページから参照しました。(全文を参照元で是非ごらんください。)

 

I know that the spades are the swords of a soldier

わかっているさ スペードは兵士の剣

I know that the clubs are weapons of war

クラブは戦場の武器

I know that diamonds mean money for this art

ダイヤはこの術で得る報酬のことだということをね

But that’s not the shape of my heart

だけどそれは僕のハートの形とは違う

 

この曲はリュック・ベッソン監督の「レオン」のエンディング曲に使われて、非常に印象的でした。

殺し屋の心情を言い当てているものとして、監督が起用したのでしょうか。

 

And if I told you that I loved you

そして君に愛していると言ったら

You’d maybe think there’s something wrong

何かあったのって君は思うかもしれないね

I’m not a man of too many faces

僕は余計な顔をもつ男じゃない

The mask I wear is one

被っているのはひとつの仮面

 

「ツキ」や「幸運」など、運命を左右するもの。神聖で神秘的な法則というものを突き止めようとするギャンブラー。

しかも、彼はポーカーフェイスの仮面をかぶっている。つまり、彼の心情の何物も表現しない。

殺し屋「レオン」のイメージが重なり、とても物悲しく切ない気持ちになります。

 

 

 

 

「特捜最前線」

1970年代後半にあった刑事ドラマで、リアルな人間描写で異彩をはなっていたのが「特捜最前線」でした。

刑事を単なるヒーローとして描かない。ワルを単純なワルとして描かない。「正義」で割り切った単純なオハナシにしない。

人間の心の綾を描いて(たまに見終わった後にもやもやとしたのも事実ですが)、担当刑事とともに苦悩するようなドラマが多かったような気がします。

 

私の研修医時代に受け持ったある患者さんが、特捜最前線のシナリオに携わっていた方だと告げました。(今となっては真相はわかりません。)

病気をして、病院に長くいるようになって、病院にいる人々を観察していると、ドラマのネタがたくさんあるんだと言っていました。

頭の中には、書きたい脚本がたくさんあるんだけど。

そうさびしそうにつぶやいていたのが印象的でした。

 

たくさんの人間模様が見えていたのかも知れません。

「私だけの十字架」を聞くと、その方のことが思い出されます。

 

 

お見舞い申し上げます

熊本地震により被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

 

地震速報の情報を聞くたびに胸が痛みます。

気象庁の地震情報では、昨日4月19日の震度1以上の地震の総回数が81回。震度5強 1回、震度5弱 1回。

長く強く続く余震に、被災された方々の心境を思うと「まだ続くのか」とやるせない気持ちでいっぱいになります。

 

沖縄からでも、何かお役に立てることができればと思っております。

 

 

あんもち

うちの清明祭(シーミー)が日曜日に終わりました。

私は東京に出張していて参加できなかったのですが、無事に終わったようです。

昨日、実家に行ったら、天ぷらやかまぼこ、あんもちなどが残っていました。

「あんもち、持っていく?」

母に言われました。

そういえば火曜日は慣れない事務仕事が山積みで、夕食も食べるヒマもないだろうと思っていたので助かります。喜んでもらうことにしました。

「そうだね。もらおうね。」

1個か2個かと思っていたのですが、母はその辺にあるあんもちを山で袋に入れました。

「こんなには要らないよ。」

「なんで、皆にあげたらいいさ。」

「皆もシーミーだはずよ。同じさ。」

「じゃあ、自分で食べたらいいよ。」

強引に話をすすめられるのに抵抗するのも困難だと思ったので、言われるがままにあんもちをたくさんもらいました。

母親パワーには負けましたが、これで血糖値が下がる心配はなくなりました(笑)。

 

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第113回日本内科学会講演会に参加してきました

昨日4月17日(日)だけの参加でしたが、日本内科学会講演会に参加してきました。

日頃は腎臓や膠原病、糖尿病などの専科に関わる話題に偏りがちな知識を、こういう場所で様々なトピックを総括してもらえますから、非常に勉強になります。

新しい疾患概念を知ることで、より専門科への紹介がスムーズになることもあります。

 

また、同じ専門分野の先生たちが、他分野の先生たちに、どういう説明をされているのかを聴講できるのも勉強になります。

内科の分野は広範ですが、どれも参考になります。

 

同じクリニックの立場で発表をされている先生たちの姿を見るのも、大変刺激になりますし、励みになります。

日常の診療に活かすことができれば、と思いました。

 

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外来ナースの募集をしています

さくだ内科クリニックでは外来部門の看護師を募集しております。

内科領域の経験の浅い方でも大丈夫です。

やる気のある方なら「院内寺子屋」を開講しますので、勉強しながらご一緒しませんか?

また経験のある方も。もちろん大歓迎です。

 

さくだ内科クリニックは医師は私ひとりの小さな外来です。

一人ひとりの生活を支えるお気持ちで、受診される方々に寄り添っていただければと思います。

「小さくても本物の診療所」をいっしょに目指しませんか?

 

ご興味がある方、是非クリニックにご連絡ください。

 

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タイミング

時期応ぜざれば我が師黙念す

「空海の言葉 続遍照発揮性霊集より」

 

タイミングが合わず、断念せざるを得ないことがあります。

せっかくの出会いなのに諦めるしかないような時もあります。

逆に、「運命的」としか表現しようがないほどの絶妙のタイミングで邂逅することもあります。

ふと口にしたことや思いついたことが、現状打開の大きなヒントだったりもします。

 

すべてが好機となるように、柔軟でしなやかな感性を準備しておきたいと思います。

けれども、受け皿となる自分の心がその方向に向いていなかったりして、なかなか難しいです。

そのためには十分な休養も必要だと痛感しています。

 

さて、上の空海の言葉。「空海1 すごい言葉」(中島孝志著)からの引用です。

「時期とはタイミングが合うときのことをいう。弟子が教えてほしい。師が教えたい、と思う。二つの心が重なる瞬間。これがすれていると永遠に噛み合わない。」

 

弟子と師匠というと、私はなぜかいなかっぺ大将の大左衛門とニャンコ先生を思い出してしまうのでした。

 

 

お気をつけて

昨夜、熊本県の地震を知ったのは国保会館の中で事務作業をしている最中でした。

家族間のLINEに通知が入り、娘が「熊本、大丈夫かな」というメッセージで知らせてきました。

福岡にいる家族からも、「こっちは大丈夫だからね」と連絡が入りました。

Facebookなどで熊本在住の友人たちの安否が確認されて、ほっと胸をなでおろしているところです。

 

被害の全容がわかってくるのは、夜が明けてからでしょうし、大きな余震もまだ続くと言います。

ニュースでは、少しずつ被害の様子を報告してきています。

DMATで活動している友人たちも、昨夜はまんじりともしない時を過ごしたことだと思います。

 

被害が大きくありませんように。

祈るばかりです。